◆200717 読書日々 995 シンプル好きの虫はいないか?
1 いまさらいっても始まらないが、わたしの読書生活で最大の欠損(欠陥?)は、図書館を利用しなかったことにある。「学生」時代の11年間、まがりなりにも「研究」室を利用することはできた。そこには付属の図書室と秘書もいた。1975年、常勤になって「研究室」を与えられたが、利用するのはゼミの時だけで、その後も研究室は空き家(物置)も同然であった。
最初の専任校、三重短期大の8年間、図書館の蔵書は素寒貧で利用するほどのこともなかったが、何ゆえか、英語の天才斎藤秀三郎と並ぶドイツ語の関口存男(1894~1985)畢生の大著『冠詞』(全3巻)が図書室にあり、それを昼間と夜間の講義空き時間に読む幸福をえた。ただし、この稀覯本(天金革張り、1巻27.6×19.6×4.8)が大学にあったため、買いそびれた。もっとも当時1巻2万円であった。手が届かなかった、というか、ケチだった。
対してわたしの自宅研究室には、1977年以来、独立の図書室が備わった。所と時が代わるたびに、充実していった(と思える)。こういう幸運は、だれもが許されるわけではないだろう。
2 雪嶺の隔日コラムは、第5年目に入った。書題は『戦争と生活』(昭12.8.11~13.8.10)で、ぎょっとする。ついに近衛文麿内閣(第一次)の登場で、昭12.7/7盧溝橋事件→7/28・29「北支事変」→8/13上海事変と続く時代へと入ってゆく。
この時代、チャイナには、中華民国という国名はあったが、「内乱」で、実に前年、蒋介石が張学良(国共合作を図る)に掴まり「捕虜」(西安事件1936)となっている。
雪嶺は書題上、もはや「非常時」ではなく、「戦争」期と括っているようだが、もちろん日米開戦が直近に迫っている、というのではない。「非常時」の連続だ。
3 雪嶺は政治腐敗、とりわけ涜職事件を糾弾して止まない。とりわけ「帝人事件」(昭9)とよばれ、帝国人絹会社の株式をめぐる政官財界要人の疑獄事件は、斎藤実内閣の総辞職を招いた。裁判の結果、正常な商取引とされ、召喚された多数はもとより、起訴された全16人も無罪(昭12)となるが、疑われたら「罪」だ、「潔癖」を自ら証明せよ、といわんばかりの論調を続ける。
この涜職事件を契機に、5/15事件、そしてのちに2/26事件が生じた。
ちなみに、「有罪」を証明するのが検察の仕事であり、被告側は「無罪」を証明できなければ「有罪だ」などという法解釈を許すがごとき雪嶺の論法は、「天皇機関説」は自説ではないと主張した美濃部に、天皇機関説ではない明々白々たる学説論証をせよ、と迫る論法もまったくひどいものだ。
だから、伊藤暗殺や原暗殺を「テロ」と断じ、処断を要求した雪嶺が、「軍」による犬養毅首相等の暗殺をテロとして糾弾し、厳罰に処すことを肯定しない。この姿勢は「世論」と同じで、まったくおかしい。
4 なぜにこんな「弊」が雪嶺に生れるのか?
『季報唯研』(2019秋号)に「世界の〈今〉を読む:この一冊」 山本夏彦『わたしの岩波物語』を書いた。超、短縮する。
「まじめな人、正義の人ほど始末におえないものはない」。「人は困れば何を売っても許されるが、正義だけは売ってはならない」。
「汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす」五・一五、二・二六事件で、血盟団や青年将校は犬養総理や高橋蔵相を殺害した。理由は、総理が満州事変に反対し、蔵相が陸海軍の予算を削りに削ったからだ。だが当時の新聞は(もとより朝日も)、今と同じく毎日のように「政治の腐敗を難じたから読者は信じた。」暴力はいけないが、青年将校の「憂国の至情は諒とする」と書いたから、読者も諒として、減刑嘆願書が全国から集まった。これにくらべれば十億や百億の贈収賄なんて、ものの数ではない、たかが紙屑である、汚職は国を滅ぼさないが正義は国を滅ぼす。夏彦はこう断じる。肝に銘じたい。
そして、雪嶺に「正義」「清潔」(シンプル・イズ・ベスト)好きの「虫」がいる。気をつけたい。あなたもわたしも気をつけなければ。