「重層的非決定」吉本隆明の最終マナー(言視舎)

「重層的非決定」吉本隆明の最終マナー

 1 吉本隆明(1924=大14~2012=平24)は、20~21世紀最大の思想家(=哲学者)である。国内外を問わない。わたしも最大かつ無二の恩恵を受けた一人だ。その吉本さんに、「新稿」を加え、氏の「最後の言葉」とでもいうべき「決算書」(=本書)を提出することができた。そう思える。幸いだ。
 新稿の結構は、「非常時」の思考(「狼が来た!」)に陥らない、どんな災禍にあっても「常態」を失わない思考方式(マナー)を提示するものだ。
 この思考法(常識)を哲学の中心においたのは、デービッド・ヒューム(英 1711-76)である。ヒュームは、いかなる変事を前にしても、彼の思考マナーを変えなかった。「狼少年」ジャン・ジャック・ルソー(仏 1712-78)の「敵」である。
 2 わたしの最終「仕事」(著述)とみなしているのが『三宅雪嶺 異例の哲学』だ。
 その雪嶺こそ、ヒュームの思考を摂取した稀な日本人である。ところが、晩年、「非常時」の思考に陥り、「日米戦争やるべし!」へと、全言論活動を傾ける。
 雪嶺は、陸羯南〔くがかつなん〕とともに、大日本帝国憲法(立君民主政体)の成立(明22)を以て、「日本人ははじめて真の日本人になった」(なる契機をえた)、と宣したのだ。すごい〔ワンダフル〕!
 ところが雪嶺は、民主政体は「平時」の機関だ。実に無駄の多い、とくに議会は「おしゃべりの機関」に堕したと断じ、満州事変と5/15事件(軍部テロ 昭7)を「非常時」の開始、2/26事件(軍事クーデタ 昭12)を「非常時の非常時」、すなわち新体制=国家社会主義とし、日支事変から日米開戦を非常時の「解決コース」ととらえる。「後戻り不可能な思考」に陥ったのだ。
 3 吉本の最終思考法〔マナー〕である「重層的非決定」は何を語るか。
 ほかでもない「後戻り可能」な思考法だ。どんな危機、非常事に陥っても、リターン可能かつ解決可能な道はあるとする、「未来」に開かれた思考のことだ。
 だから「未曽有」で「前代未聞」な「事変」は存在しないという前提に立ち、解決の道を見いだそうという、ステップ・バイ・ステップでゆく、「開かれた思考法」だ。その思考原理が「多数の決」(デモクラシイ)である。「みんなで渡れば怖くない」や「朝令暮改」である。「試行錯誤」だ。
 何か、無責任でつまらないことをいっているように聞こえるだろう。そうではない、ということを三つの事例、「コロナを開く」「原発を開く」「国を開く」で、「非常時」がお好きな「言説」に「否!」の原理(プリンスプル)を明示しよう。(「まえがきより」)

google検索: 「重層的非決定」吉本隆明の最終マナー(言視舎)