読書日々 1043

◆210618 読書日々 1043 川の流れのように
 「衣替え」をしないうちに夏到来、というような気温が続く。昨日は光がまぶしく、風が気持ちよかった。といっても、まだ戸外を歩く気にはならない。
 室内では、生花がすぐしおれる。「緑がほしい。」と訴えると、「テーブルヤシ」が机の上を飾った。初見参(?)。小さい。でも、たしかに緑一色だ。
 2度目の、抗・新型コロナ免疫接種を昨日終えた。今日はつれあいの番だ。さてどうなるのやら。
 1 読書日記(「読書日記」と「読書日々」)を見直す作業を始めた。
 おそらく5500枚を優に超える分量になる。このデジタル日記、1998.12月からはじめて、いまに続いている。わたしの仕事・行動・酒……日記でもある。HPに掲載したもので、デジタル版定稿にしようと思ってだ。ま、誰も読まないとは思う。が、それはそれでいい。
 デジタル時代が始まって、わたしは、著作年譜だけでなく、my complete works(全集)を可能な限り「完全」な形で残すのが、研究者=物書きとしての責務だと考えてきた。そのために「私設助手」を雇った。不完全な形になったが、デジタル著作は残っている。
 2 この「日記」を「定稿」にしようとして、読み直すと、一番最初に気がつくのが、「仕込み」の開始時だ。
 わたしはこの春『三宅雪嶺 異例の哲学』(言視舎)を仕上げた。わたしの仕事は速いほうだ。が、この最後の仕事(主著)を書こうと心決めしたのは、意外と早い。それでも福沢諭吉を書いて、余力があれば、三宅雪嶺に進もうと思ってきたのはたしかだ。だが、雪嶺の本格的な文献収集は、このデジタル版日記がはじまったとき、すでにはじまっている。
 私の耳奥では、谷沢先生の『読書人の立場』(1977)の発言以来、「司馬史観」の源流(種本=史観と人物評)は三宅雪嶺にあり、という声が鳴り響いていた。ただし谷沢先生の言葉は、断言だけで、それを敷衍し評論する労を執ることはわずかだった。かといって、わたしに雪嶺論を物せ、などという助言もなかった。ただ先生の著作にでてくる「雪嶺」が、「ワシダ書くべし!」と慫慂 suggestion するのだ。
 3 わたしはその多くを「注文」で書いてきた。
 ただし「注文」といっても、出版界では、「いつでも取り消し可能な発注」であり、逆に、商品(作品)が完成しなくても、作家が義務不履行で、損害賠償という仕儀にもならない、「契約」観念がひどくあいまいな業界である。編集者も作家も、「口約束」から「駒が出る」という体なのだ。
 ただしわたしは、発注から定稿まで、どんな大冊ものでも、1年とかからない。昭和思想史・吉本隆明・天皇論・現代思想・人生の哲学、みなそうだ。
 400枚以内のものなら、執筆に1月(未満)である。そう粗製濫造といわれたが、そういわれても仕方ない。それでも、乗っているときは、やってくる企画はどんなテーマでも断らず、締め切り日を決め、編集者にむかっては、つぎあうときは「新しい企画を持ってきて」、というのを常としてきた。それもわたしが尻込みするような奴を、という具合にだ。
 4 どんなテーマでも、必要な文献は「すぐ」集まる。集まらなくとも、わたし流の切り口は必ず見つかる。そういう「熱度」があった(ように思える)。20世紀から21世紀の変わり目のときで、そのエネルギーがほとばしっていた。「還暦」を挟んで、の期間が、最高潮ではなかったろうか。ただし、書物=出版界の「バブル」は、ビジネス界のバブルより10年後れて潰れた。その時代をわたしごときも全速力で駆け抜けたのだ。
 4 それでも気負いすぎると、碌なものは書けない。もっと難しいのは、気負わないと濃度の濃いものを書き続けることは出来ない。さらに難しいのは、水のようにおのずと流れる作品は、清い「水源」近くでは難しいということだ。水量豊かで、しかも淀んでいない、川の流れの「流れ」(湧水)、がなくてはならない。その「湧水」がなくなったとき、作家の「終わり」だ。すでにわたしがその境位にある。