カテゴリー別アーカイブ: 著書

どんな論文でも書けてしまう技術(言視舎)

9784865650020

論文を書きたい人、この指とまれ

 かつて、書くことの中心を占めていたのは、文学、とりわけ小説であった。いま小説を書く人が減ったわけではない。しかし、書く中心は論文やレポートに移った、と断言していいだろう。それも、学者や専門のライターが論文・レポートを書くだけではない。学生もビジネスマン・ウーマンも、一様に書く。書く必要に迫られているのである。
 だが一枚の報告書ですら大変なのに、本書は、小論文や報告書の類ではなく、まとまった長さのある「論文」を書く技術を披瀝することをめざしている。論文には、もちろん、学術論文も含まれる。そんな無茶な、と思われるだろう。
 そうではないのだ。本書が対象とするのは、特殊な物書き専門研究者、もしくはその志望者なのではないからだ。本書がいわんとするところは、大きくいって三つある。
 1 情報社会の進展の中で、誰もが「論文」を書く時代になった。
 2 論文を書くためには、もちろん、小論文や報告文とは違った技術が必要になる。
 3 短文が自在に書ければ、どんな長文でも書くことができる。
 この3の技術を教えましょう、というのが本書最大の特長である。つまり、短文さえ書ければ、だれでも論文が書ける、というのだ。
 論文を書くのに、特別の能力はいらない。やり方さえ間違わなければ、だれもが学び、利用できる技術がある。それをお教えしましょう。

日本人の哲学3 政治の哲学/経済の哲学/歴史の哲学(言視舎)

9784905369943

歴史は哲学の生命源である!
「国家権力」(政治の哲学)「資本主義」(経済の哲学)世界標準の「歴史書」(歴史の哲学)を日本歴史のなかに位置づける

 全5冊10部『日本人の哲学』を書こう、書けるにちがいないと想定したのは、65歳の前後であった。10年、75歳まで生きのび、書き上げることができたら、望外と思えた。ところがここに、「政治の哲学」「経済の哲学」「歴史の哲学」3部を上梓することができた。いま現在の気分でいえば、ここが終り〔ゴール〕であっても「いい」という部分まで、予想を超えたスピードで書き上げることができたのだ。想定外の喜びである。
 残すは2冊だが、基本部分はできあがった。あとは残務に近い。完成は指呼の間ではないか。このような気分に浸されている。だが、これは幻想の類いだろう。ホットし一服したいと思っているのは事実だ。ところが「いらち」が習い性なのか、すでに後続の「自然の哲学」等々に指が動いている。「目次」(Contents)をいらっている。これが存外に楽しい。
 この巻は、「政治の哲学」で「国家権力」を、「経済の哲学」で「資本主義」を、「歴史の哲学」で世界標準の「歴史書」を基本概念にすえている。長いあいだ懸案としてきた基本カテゴリーを、日本歴史の流のなかに簡潔だがしっかりと位置づけようとして、しとげることができたように思える。この一点だけでも満足しなくてはならないだろう。
 わたしの哲学は、1960年代の半ばからマルクス主義とともにあった。1970年代の半ばから90年にかけて、マルクス主義をのり超えることに奔命せざるをえなくなる。ずいぶん遠回りをしたように思えるが、他面では、マルクス主義を突破〔ブレークスルー〕できたからこそ「日本人の哲学」プランにたどり着くことができたのだ(と思える)。
 ともあれもう少し寿命が残っていそうである。75歳までには本書を仕上げ、本物の残務に力を注ぐことができたら、それに勝ることはない。

まず「書いてみる」生活(文芸社文庫)

9784286153582
 わたしがもっとも大事にしている自著に『入門 論文の書き方』(1999年)があります。10刷りを超えたのですから、かなり売れた本です。
 「入門」は、編集者がつけたので、わたしとしてはたんに「論文の書き方」を書いたにすぎません。大げさにいえば、どんな「論文」を書くのにも対応可能な内容を述べました。もちろんエッセイでも、さらには小説にだって応用可能です(と思っています)。
 総じて「万能薬に妙薬はない」といわれますが、拙著は「万能薬」を目指しています。誰にでも、どんなジャンルやテーマにも、対応可能な「書き方」をです。もちろんわたしの発見ではなく、モデルがあります。梅棹忠夫『知的生産の技術』(1969年)です。わたしは梅棹さんのやり方を、さらに大衆化しました。より単純に部品化し、ベルトコンベヤー化したのです。もちろんわたしも実践者です。
 しかしこのやり方は、多少ともものを書いた人や、書くことに特別の思いをもっている人たちには、不人気なのです。文章はすらすら書くものじゃない。大量生産品ではない。こう思われているのですね。
 それで「定年から書く意味」というテーマの本を書けという注文が来たとき、「書き方」もふくめて、なぜ書くのか、定年後になぜ書く意味がとりわけ重要になるのか、を書きました。それが本書です。
 もとは新書版で、今回、出版社を改め、文庫本になりました。新しい読者にまみえるチャンスをふたたびえたのですから、著者にとってこれほどの幸運はありません。
 わたしは定年・退職後も、あいかわらず書いています。時間はありますが、スタミナは、グンと落ちました。でも、朝、目を覚まし、すぐに仕事にとりかかる生活が続いています。書き続けているからこそだと思います。それに書いたもので皆さんにまみえるチャンスもなくなったわけではありません。これも幸運に違いありません。この幸運を共有してみませんか。わたしの心からのメッセージです。
(『まず「書いてみる」生活』の文庫版あとがき)

「自分」で考える技術(PHP研究所)

4569818536

『「自分」で考える技術 』が20年余、版を改めて刊行される!

 本書は単行本から二十年余、文庫本から十五年をへて、ここに版を三たび改め、出版されることになりました。多くの読者に出会えたこと、今回またそのチャンスが与えられたことは、著者冥利に尽きます。

「自分で考える技術」、これが与えられたテーマです。「技術」を強調する理由は、大きくいって3つあります。
 第1に、誰でも、きちんとステップを踏んでいけば、到達できる思考のあり方を、「技術」という言葉で示したかったからです。
 第2に、「技術」は人間が作ったものです。しかも、どんどん「進化」してゆくものです。時代の進展に応じて、思考も「進化」することを、「技術」という言葉で示したかったのです。
 第3に、高度技術社会、情報社会における「思考」のあり方を、「技術」という言葉で示そうとしたからです。
 私の努力は、「考える」ことを、天才たちの仕業である「アート」(芸術)から、解放するということに集中しています。もっとも、思考の天才たちは、すべてとはいいませんが、思考を技術化することを中心課題として、考え、書いたのです。その中心に、哲学者たちがいました。「思考の技術化」をテーマーにしたこの本に、「現代人のための新哲学入門」と名づけた理由が、そこにあります。
 一九九三年一月  雪の馬追山にて    鷲田小彌太

 最初の単行本「あとがき」(1993年)です。幸運なことに30数刷りを重ねることができました。

シニアの読書生活(文芸社文庫)

9784286147307

人生100歳時代、最高に贅沢な生き方のススメ!
高齢社会・高速社会を幸福に過ごすための読書術

(本書は、2008年11月、エムジー・コーポレーションから刊行された『シニアの読書生活』に、加筆・修正し、文庫化したものです。)