◆241122 読書日々 1172 マルサス「人口論」を知っているか?
「2都物語」、私のパートを書き終えた。もちろん、直しはある。
400字詰め130枚、所定枚数をオーバーしている。写真類も、入れなければならない。私は、エッセイを書く調子で進んで来たので、写真類は忌避したい。が、そうはゆくまいね。
共著の杉山さんは、「団地の二人」をラストイメージにしている(らしい)。私も、楽天主義者だから、同じように思いたいが、もみじ台団地は、あまりにも「団地の二人」と似ているので、むしろ、腰が引ける。
じつは、もみじ台団地、新札幌駅まで、2~3km、徒歩で20~40分だ。私には至近距離に思えるが、青葉台団地がこの半分くらいの距離で、「再建」で全く新しくなった。驚くべきリッチさに思える。
比較すると、これではたまらない。もみじ台のほうは、5階建ての全アパート、エレベーターなし、耐用年数を経過し、修繕・改良必死。高齢・少子化家族が忌避してあたりまえか?
実に、実に、そんなことはない。駐車場があり、まわりは公園だらけ(?)。もちろん、戸建ての住宅も、青葉町と同じように並んでいる。
それに、札幌市も、住民の「要望」に「適切」に「答え」ている。(ただ、「答えて」いるに過ぎないかもしれない。)ただし、問題は、もみじ台団地の再生が「可能」だとして、「必要」なのか、ということだ。
日本は、少子高齢社会に入った。これを忌避することはできない。バブルが潰れた「時期」とはあきらかに時代趨勢(トレンド)が異なっている。大きく言えば、日本は、欧米諸国と同じように、少子高齢=人口減少社会にすでに入った。世界規模で言えば、マルサスの「人口問題」に回答を得てしまったのだ。「少子高齢化」を社会の「マイナス因子」に数える、これをやめる必要=必然がある。
私は、1970年代、結婚して、野球のチームが作れるくらい子供がほしい、といったが、妻に冷笑で迎えられた。それでも、3人産んでくれた。感謝だろう。
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読書日々 1171 『推理文壇戦後史』
◆241115 読書日々 1171 『推理文壇戦後史』
山村正夫作・双葉文庫・全3巻、1973年10月、双葉社から刊行された文庫版だ。
ずいぶん長い間、トイレにあった。臭いが移っても不思議がないくらいにだ。なに「文壇史」の通例に違いないといえば、そうだが、作者が「日本探偵作家クラブ」の草創期からかかわった山村の「備忘録」という体裁になっている。「作品」論は皆無なのだ。
面白くなかった1因は、私が山村の作品を1冊も読んだことがなかった、ということにもあるが、その山村をご丁寧にも、まったく別の、何の関係もない(?)作者と勘違いをしていたことによる。
恥ずかしいが、「赤旗」日曜版に連載(1962~65)された『忍びの者』の作者、村山知義と勘違いしていたのだ。こちらは.市川雷蔵主演の映画で見て、感心し、原作も読んだ。もっとも司馬遼太郎『梟の城』(「日外新聞」」新聞連載(58~59)『梟のいる都城』を改題)をすでに読んでいたので、なぜか、山村=村山と誤認して、さして疑わなかった。大失態であった。
村山・山村誤認は、日本共産党に対するバイアス(偏見)の1つに違いない。そう言えば、三津田健(「文学座」)や宇野重吉(「民藝」)の映画を見るときも、長い間、バイアイスに左右されてきたように思える。「うまい」だが「うますぎる」である。
今日、このつまらない本から「解放」された。思えば、おそそ8年間、伊賀上野=「壺中の天」に住んで、津に昼夜2日の短大、大阪に昼夜2日の非常勤講師(哲学・倫理学・ドイツ語)を「こなし」、残る3日と、夏冬の長期休暇を「自習」に熱中できた。この時期、あれもこれも、「習作」としか呼びえないものを書いたが、8年目、家郷の札幌大学から声がかかった。退任される花谷先生の推薦だった。
初めて、「給料」だけで家族5人が生活できるだけのペイをもらうことができた。1983年で、すでにバブルの時代に入っていたが、その崩壊の予兆もはっきり見通すことが可能だった。
いま書きつつある「2都物語」で、個人的事例を挙げて述べようと思う。
1つは、1982年、伊賀、夏休みのこと。伊賀神戸駅の付近で、福島さん(元文学部倫理学教室助手→大阪府立大助教授)にであった。父母が、伊賀神戸の土地を買ったそうだ。それを確認にきた。?? 地面を見ると、山林崖地に思える。そう指摘すると、ため息をつきながら、とにかく行ってみます、といわれた。あきらかに「地面詐欺」だ。
2つは、私が1985年に購入した長沼町「伊賀団地」は、高台の絶景地であった。周囲をめぐると、「はいじの里」という看板がうち捨てられている。飛行機=上空から、あれがあなたの「土地」=「はいじの里」だと売りさばいた、残骸だ。そこに、2016年まで住んで、ルンルン、家も土地も、いまもある。
……「バブルの崩壊」は、市中銀行の倒産を含む89~90年の5回の金利利上げに「はじまった」、じつは終わっていた。
読書日々 1170 ポピュリズム批判
◆241108 読書日々 1170 ポピュリズム批判
昨日、みぞれ交じりの冷たい雨・雪が降った。残雪は今も残っている。車を冬タイヤに取り替えるのに手間取っている人がたくさんいるだろう。
1 米大統領選挙は、共和党のトランプの圧勝におわった。即日開票で決着がついた。
有識者には、トランプの「ポピュリズム」ぶりを盛んに批判しているひとがいる。「無知な大衆」迎合・先導する意見や行動のことでで、トランプぶりを、独のナチズム(ヒットラ)や伊のファッシズ(ムッソリニ)と同列に置く人もいる。
2 だが、言うまでもないが、デモクラシとは「デモス(大衆=多数者)+クラトス(権力・支配)」のことだ。正否を、多数(=数の多・少)で決着をつけること「以上」を意味しない。
「正しい」には、大枠、2つある。「真」(truth)と「法」(right)で、2つは、必ずしも、重ならない。極論すれば、似て非なるものだ。
自然法則は、「真」を中核に置く。社会法則は、「法」を中核に置く。2つは交わリ、ときに重なることもあれば、離反し、ときに接合することもある。
4 「選挙」は「多数決」を基本に置く。極論すれば、ポピュリズム(大衆・迎合主義)なのだ。ただし、「大衆」の意思は変化する。反するようになれば、批判され、少数者に転じれば、次回選挙で否決される。
だからこそ、デモクラシーは「有期限」なのだ。米大統領の任期は4年、日本の衆議院は4年。改選期を迎え、多数者の「意志変化」に適応しない大統領候補は、否も応もなく、否決される。
5 ポピュリズムを批判するのはいい。だが、それを否定すると、「大衆の意志」、ときに「多数者の意志」を否定する、「反」民主主義、個人独裁あるいは少数独裁をよびこむことになる。ロシアやチャイナのようにだ。
6 ポピュリズム批判は、デモクラシー批判を不可分に含んでいる。これを忘れると、有識者面をした「エリート主義」に落ち込む。お前はどうかといわれたら、「多数決」は苦手、というほかない。
読書日々 1169 薄暗闇の源氏物語
◆241101 読書日々 1169 薄暗闇の源氏物語
1 暗くなった。朝遅く、夕速く、明るさがどんどん消えてゆく。もっとも私の「眼」には優しい。
連ドラ「光る君へ」を見ていると、「夜」の描写の美しさが、際立っているように思える。中学期、すでに0.1の視力だったことに、担任の美術の教師(鈴木先生)に気づかされ、好きだった野球を断念、卓球に夢中になったが、それが視力減退の元凶になると気がついたときは、眼鏡で矯正しても、0.1~0.3どまりになった。以降、むしろなぜか、「暗闇」を好むようになってしまった。
元来が臆病で、夜、尿意をもようしても、昔の家屋に特有の、長く暗い廊下を渡って、ドボン式のトイレに向かう勇気がなく、何度か漏らし、口さがない叔母(父の妹)たちに揶揄された記憶が、ずいぶん長く残っている。ま、その叔母たちもみんななくなったので、平気だが。
2 夜の暗さ=怖さを克服できたのは、上阪し、下宿暮らしを初めて3年目、2帖半の板張りの個室こ3年半住んでからだ。晴天の日は、200メータ登れば教室に着くのに億劫で、雨の日は傘など七面倒だ、曇りの日は気が晴れないじゃないか、と自分ごちし、高校時代から使っていた机・パイプイスで独りごちし、手当たり次第に長い長い本、小説を読んでいた。そんな折、ガード下の古本屋で、北村季吟の『源氏物語湖月抄』の端本を格安で手に入れ、飛び飛びに読み始めた。(ま、わかるところだけを、わかったつもりで読み飛ばしたに過ぎないが。)
面白かったというより、エッチ満載の書なのに驚いた。それに暗がりだ。襲われたら、相手がだれともわからない(わかっても)、声を上げることもできない。「男」のほうは、それを自慢たらたら口にするし、「女」のほうもまんざらでもない口調で、吹聴する。
3 三島由紀夫は「第1に評論、2・3がなくて、小説だ」というようなことを開高健が述べていたが、私も三島の最大の傑作は、薄い『小説とは何か』(新潮社 19720320)だ、と断じる。そういえば、三島全集は残っているはずだ。源氏は、真っ昼間、教室で読んで、議論したら、大変になる、という実験を、国文の授業でやってみたが、ドンピシャリだった。
真っ昼間、教室で小説などを講義、討論して、どうして恥ずかしいと思えない?! 三島の提言だ。
読書日々 1168 睦朗さん120歳まで生きてね!
◆241026 読書日々 1168 睦朗さん120歳まで生きてね!
1 昨日、旧「厚別墓地」と「厚別弾薬庫」跡について調べている途中、「墓地」は智徳寺のとなりにあった(現在の新さっぽろの中心地)、寺の隣に、戦後、西部さん一家が住んでいた。その西部さんのお父(母)さんは長沼うまれで、お寺出身、その縁で智徳寺の隣に移ってきたのだった。西部邁(すすむ)さんの著書に、そのお母さんが、戦後、米軍に摂取された弾薬庫の「敷地」に、「薬莢(きょう)」を拾いに行った」という箇所があった、という記憶がある。
私の生まれた厚別は、実に散文的で、非文学的である。邁さんの「文章」を引いて、雰囲気を出そうなどと思ったのが運の尽きだった。西部さんの著書はそろっている。確か『センチメンタル・ジャーニ』ではなかったか、と探したが、とんと見つからない。他書にも目をこらしたが、……そのうち活字がぼーっとしてきた。仕方なく、自室に戻り、別な手はないか、と考えているうちに、25日がブログ更新の日だったなどは、頭の隅から消えてしまった。それで、いまこれを書いている。まずいと思うが、「記憶」の普遍的メカニズムに違いない、と自分を慰めている。
2 高橋睦郎(1937~)さんが文化勲章を授与された。何度か、いつも複数だったが、お会いしたし、俳論や文芸評論などは、愛読書の一つであった。最も傑作だったのは、野幌は安念さんの「ドラマシアターども」で、独演会をやったときのことだ。ムツロウさん、細い体で、水の入った樽桶をまえに、暑かったので半身裸、「120歳まで生きる方法」を披瀝した。ムツロウさんの俳論も洒脱だったが、その話っぷりも爆笑というより、心の中を頷きたいな、という笑いだった。といっても、仙人ではなく、谷川俊太郎さんに通じる、訥々(とつとつ)のマルイタレント風情だった。
3 妻の車で、ひばりヶ丘、青葉町、もみじ台、そして、大麻団地を一巡りしてきた。ひばりヶ丘は「団地」だったの? という風情しかなく、青葉町は、新さっぽろを押し包むように、大阪万博跡の千里団地と思えるようなスケールの町に変貌していた。
そしてもみじ台である。いままだ、そのスケッチさえ描けていない。いろんなところで、団地(跡)が、人の侵入を拒む、草木に覆われた「原野」に変じたところを見てきたが、まさか!、じゃないね、という印象を完全に拭い去ることはできなかった。青葉台の隣接地にある、ここも札幌市の「計画」によってできた大団地だ。どうする?