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読書日々 1662 暑いね。北海道に移住したら! 

◆240913 読書日々 1662 暑いね。北海道に移住したら!
 1 23年間、関西に住んだ。なによりも堪えたのは、夏の高温多湿と、冬の寒さだった。クーラーがなく暖房器も不如意だったからだ。28歳で結婚し、初めて石油ストーブを購入した。ブルーフレームで、妻も同郷だったので、定職を得る可能性は低かったが、あの炎はまさに「幸せ」(?)の象徴だった。
 35歳で、友人の引きで「定職」ををえることができたが、ほんとうの貧乏が始まった。もっとも、わたしたちより悲惨な目に遭っている「研究」者は、たくさんいたはずだが、だれのせいでもない、みんな自分自身が選んだウェイだと思えた。それから悠々50年に達しようとしている。
 2 毎日メモをとっているが、すぐに忘れないためだが、ほとんどは、TV番組の感想語が占めている。最近は、再放送「オードリー」で、ずいぶん若いときの一茂だが、いまと変わらない長嶋一茂が登場してくる。最終場面で、どうやら「武蔵」を演じるらしい。最近の一茂の「コメント」が的確なのに驚くことしばしばだが、どういう経緯でそうなったのか、興味のわくことしばしばである。
 3 「武蔵」ものは、どんなものでも好きだ。読んで来た。なぜか、深く考えたことはないが、渡部昇一さんとこんなことを話たことがある。
 武蔵は、(沢庵和尚に捕縛され、姫路は池田候の天守に数年閉じ込められ、学問に精進し、文盲=「暗闇」から脱する)剣術はだれに習ったのか? 独習なのか? 父無二からか? だれもここを書いていない。そして、突如、吉岡一門をなぎ倒す。
 渡部さんは、才能抜群だったが、たぐいまれなほどの、努力の人だった。その努力の一端は、処女作『英文法史』(研究社 1965)から一貫している。
 小次郎は、鐘捲自齊の弟子で、「練習」の人だった。武蔵はどうか? そして、一茂は?

読書日々 1661 日本の独立自尊

◆240906 読書日々 1661 日本の独立自尊
 一気に涼しくなった。今日のそんな明け方、異様な音で目が覚まされた。朝、5時前である。……。ただし、いつもは目覚めて、起き上がっている時刻だ。隣のビルから車で出る時の騒音らしい。ま、いいかと思い、起きてパソコンを開いたが、なんだか頭に霞がかかったような感じがする。寝たりないわけじゃないだろうが、やはり歳か。
 1 日本人の多数は、自民党を保守党と考えている。じゃあ。自民党は、「なに」を保守しているのか? そもそも「保守」とは何か? これが単純明確ではない。それに「保守」と「革新」は、私もいろいろな「定義」に出会ってきたが、原理的にも、事実上も、「対立」関係にあるわけではない。……問題は「何」を保守するかにかかっている。
 昨日、プライムニュースで、井上逹夫(1955~ 法哲学}と先崎 彰容(あきなか 1975~ 日本思想史)が、保守の「共通感覚」と日本はなにを「保守」するのか、と鋭く論じた。ま、わかる人には、すっきりわかるが、「哲学」と「政治」は、同じテーマを論じても、アルチュセールが断じたように、哲学は「分断」し、政治は「接合」する。井上や先崎の「哲学」を詳しく検討したことはないが、西部邁とつながることは、二人の口舌からわかる。
 西部は、アメリカニズム(産業主義と民主主義の二頭立て)からの独立(自立)以外に日本の保守政治はあり得ないと述べ、自民党の「革新」をこそ主張した。
 2 ただし、西部(邁さん)をその著作と個人関係から類推するに、日本の「独立」の可能性と現実性の狭間で、格闘したが、むなしかった、という感慨をわたしに残したように思える。理論上は寛容であり得る西部が、実践的には「不寛容」であった、ということか。それあるか、多くの人に、対立的な人物像を結ばせたかもしれないが。
 私は『福沢諭吉の事件簿』(1~3 言視舎 2019)で、「最後」に、三宅雪嶺、司馬遼太郎、西部邁を「対論」者として登場させ、「富国と強兵」をテーマに、諭吉をテーマに存分に論じさせた。3人とも、日本の独立自尊をテーマに論究した作者であった。

読書日々 1660 映画「駅前団地」 

◆240830 読書日々 1660 映画「駅前団地」
 1 26日、杉山さん(言視舎社長)が、来訪された。台風の隙間をぬってのスケジュールであったが、さいわいにも、好天に恵まれた。夕方、元(私設)助手の井上美香さんも加わり、楽しい酒宴となった。急ピッチで飲んだため、私のほうは、いつものように「脱落」、早々と自室退散のていたらくと相成った。それでも、お会いできて本当にうれしかった。ビールも、酒も美味かった。
 杉山さんは、1夜拙宅にとまり、翌日、隣町(大麻)に住む、イトコさんとお会いになり、無事、帰京された。何か、いや、何にも特別のことはなかったが、幸いにも、私には、人生に一区切りをつけることができたように感じられる。尋常ならざる、出版者と著者の関係は、悠々20年を閲した。幸いなるかなだ。私の晩年の主著は、みな言視舎からでたものだ。
 2 それで思い出すが、地方に住んでいると、親しい諸先生の死に立ち会えない。というか、間近にいても、父母の死にさえ立ち会うことができないできた。こういうのを罰当たりというが、父母はともに、病床にあって、まじかに誰もいない時、はかったように静かになくなった。
 3 杉山さんとわたしは、いつでもどこでも、「本」を書き・出すという関係だったが、最近、杉山さんも書き出した。同じテーマで、別風景を書くことを約束した。
 昔、「駅前団地」という、森繁久弥・フランキー堺等を出演者とする、馬鹿馬鹿しくも面白い東宝映画シリーズがあった。原型は、井伏鱒二『駅前旅館』の洒脱さを、ドタバタ劇に転化したものだが、私には、当初、井伏の「クセ」がわからず、ただただ面白おかしく、しかし、3本立ての3番館で黙って見ていた。……その「団地」がテーマである。
 私が生まれた「厚別」は、典型的な農村だった。駅前団地ができる前、1950年代、という限定がつく。映画駅前団地の舞台は、現在の西東京市で、奇しくも厚別の「ひばりヶ丘」団地と同名だった。日本公団公社=住宅の嚆矢だ……

読書日々 1659 希の希に、書評の仕事が入った

◆240823 読書日々 1659 希の希に、書評の仕事が入った
 学問と文芸にとって、「書評」は一国の文化水準を決定する「尺度」だと思ってきた。それに、私事を述べれば、30代から40代にかけての「注文」は、ほとんど「読書」新聞・雑誌からの「書評」もので、原稿料は「ただ」同然の低賃であった。それでも、「本」が手に入り、読んで評し、活字になる。ど「田舎」に住んでいたから、論壇から全く無縁であったので、多少の「刺激」をえることができた。それで、どんな仕事も断らずにやってきた。それが今に続いている。何、年に1、2回の度数に過ぎないが。
 ただ長く生きてきたに過ぎない。とはいえ、書評類を並べたら膨大な数に上るだろう。『日本人の哲学』(全5巻全10部)を完成する、ならば、自分の読書世界を総動員しよう、未読のものは気づくかぎり読破すべし、とおもって、およそ10年、65歳から75歳まで、足腰が立たなくなるまで読みふけり、書き綴った。
 この時期、本の世界、それを元本とした書く世界が、私の唯一無二の世界になった。などというのはげさだが、およそ、400字詰め・4000枚の『日本人の哲学』を書き終えても、日々の読書世界は終わらなかった。車を捨て、歯がだめになり、メガネをかけると0.1までは見える。裸眼でどうにか読むことはできる。TVは、見る世界であるが、聴く世界の比重がぐんと大きくなった。
 長姉が、ついに介護施設に入った。末妹はすでに亡くなって3年余を過ぎた。まわりはどんどん消えてゆくようだ。私もその予備軍だが、ギリシャ悲劇の「余話」の、書評を仕上げて、ほっと(?)している。そうそう思い起こした。
 大学院で、ギリシア哲学の授業にでた。長沢信寿先生(非常勤講師)が膨大な「原稿」用紙を読む態の「貴重」な講義の3年間、学生は私一人だった。筆記するのがやっとだったが冗談一つもない、しかしのちにモンテーニュ『エセー』につながる、貴重なギリシア哲学の講義だった(と思える)。

読書日々 1658 希・日の神々に、あきれるぜ

◆240816 読書日々 1658 希・日の神々に、あきれるぜ
 1 昨日、今朝と、急に涼しくなった。札幌に住んでいる幸せだ。これからは、「さっぽろ」(北海道)の時代じゃないの、と、せんどいってきたが、もう一度いってみたい。「住むなら、さっぽろだ!」
 それにもうひとつの幸運は、1年に1~2度、「注文」があることだ。なに、「書評」というか、エッセイ風の「紹介」文で、「本」に関するものだ。たしかに仕事も含めて多く(?)の本を読んできたが、「貯蔵庫」は、スカスカになっている。新たに読む本は、買いに行くのがおっくうで、あるいはアマゾンが苦手で、よほどのことがないかぎり、手が出ない。
 わたしでも、読んだ本は、それも仕事で読まされた本は、忘れるようにしてきたが、いまでは「書名」さえ思い出せないものがほとんどなのだ。「君の名は」の名台詞じゃないがね。
 2 「独創性」がないことを誇ってきた。本があるから、否、テレビと酒がついての、「老後」生活は、83になっても、まずまず「快適」と言っていい。ま、妻の規子さんの「介助」があるからだが、特例じゃないのかな、と思える。それに、76で車とおさらばした。「足」を失った。自分の足で歩ける範囲が、行動半径となった。一番の原因は、「目」である。視力の低下。そして、「本」を読む、活字を拾うのが難しくなった。なにせ私らの時代は、新潮・中公・筑摩・岩波、を問わず活字が小さく3段組の、各種全集の古本・廉価本で読むのを常とした。金がなかったというか、ケチだったせいだ。でも、いまじゃ、デジタルで読むと、拡大可能で、目に「優しい」(!)。それでも、新聞・書籍で読むのは格別だ。新しい著者に出会うことはまれのマレになったが、同世代では柄谷行人が頑張っている。励みになるというか、偉いね。
 3 「書評」は、ギリシア悲劇の「余話」で、これが面白いというか、めちゃくちゃだ。特に「神々」はね。わたしたちは、高津、田仲美知太郎、呉、村川先生たちの訳や解説で学んだが、今から思うと、「古典」に関してじつに自在であった。「紹介」本の著者は、わたしと同じ世代だが、同じく「闊達」だ。ギリシアの「神々」には参るが、ま、日本の神々とそんなに違わないかな。