読書日々 1630 「過去についての自註」

◆240216 読書日々 1630 「過去についての自註」
 1 先週、ミステリ作家、今野敏『一夜 隠蔽捜査11』(新潮社)は、ミステリは「純文学か、大衆文学か」に一つの解答を与えるものじゃないか、という期待を込めた。だが、神奈川県警刑事部長竜崎は、額面通り、文学「音痴」を通して、終わった。私のいらぬお節介は、「半日」(読了)でしぼむ結果となった。
 なんだ、「誤読」じゃないかといわれれば、その通りと答えるほかない。でも、最終章の結末まで、私は愉しんだ。今野のこの作品は、そんな問題は私の柄ではない、かのような姿勢を通したが、ま、「お楽しみはこれからだ」に期待したい。私といえば、またまた、鮎川の『戌神はなにを見たのか』を持って、トイレに向かった。この作品は、主題も、舞台も、「ミステリの本筋は何か」に解答を得ようとする、エンタティメントだと思える。
 2 私は、『日本人の哲学』(全5巻 全10部 言視舎)を上梓し、2017年、ヘロヘロになりながら、長沼の馬追山から生家(跡地厚別)に戻って、積み残した、時代小説『福沢諭吉の事件簿』(全3巻 全13章)を書き、「これでおしまい」と思えた評伝『三宅雪嶺 異例の哲学』を書き終え、「これでおしまい」と再再度確認したが、まだ生きている。何か、不思議な気がする。というか、欲が深いのかなと思える。
 そして、この数年は、これまで書いたものの「整理」に集中し、デジタル版「著作集」を残すべく努めてきた。それもほぼ(すべて)終えた。膨大な量に上る。この数年、およそ8割の時間は、自分の書いたものを整理することに費やしているといっていい。自分でも「自慰行為」かなと思える節がある。なにせ、全30巻、1巻1000-2000枚(400字詰)なのだ。
 3 わたしが書いて、「活字」になった最初の「作品」は、.「幻想論の理論的支柱――吉本隆明批判」〔上田三郎名義〕 43枚(『唯物論』*、第一集、1969・10・20)である。
 その吉本に、終生、思想的・理論的に最も大きな影響を受けることになった。第二作は.「イデオロギーの終焉」論( 30枚 『唯物論』、第二集、1970.6.10)で、批判したダニエル・ベルやドラッカーにも甚大な影響を受け続けている。
 *『唯物論』は、大阪大学唯物論研究会が発刊した論集で、田畑稔と鷲田が中心だった。)
 4 いつも思い出しては、自分の頭を叩いている言葉がある。
 《すべての思想体験の経路は、どんなつまらぬものでも、捨てるものでも秘匿すべきでもない。それは包括され、止揚されるべきものとして存在する。もし、わたしに思想の方法があるとすれば、世のイデオローグたちが、体験的思想を捨てたり、秘匿したりすることで現実的『立場』を得たと信じているのにたいし、わたしが、それを捨てずに包括してきた、ということのなかにある。それは、必然的に世のイデオローグたちの思想的投機と、わたしの思想的寄与とを、あるばあいには無限遠点に遠ざけ、あるばあいには至近距離にちかづける。かれらは、『立場』によって揺れうごき、わたしは、現実によってのみ揺れうごく。わたしが、とにかく無二の時代的な思想の根拠をじぶんのなかに感ずるとき、かれらは、死滅した『立場』の名にかわる。かれらがその『立場』を強調するとき、わたしは単独者に視える。しかし、勿論、わたしのほうが無形の組織者であり、無形の多数派であり、確乎たる『現実』そのものである。》(吉本隆明「過去についての自註」昭39)
 かつても、現在も、この吉本の「自注」を保持しようとしてきた、と思える。私の考える力の源泉だから。