読書日々 1632 3「酔」人

◆240223 読書日々 1632 3「酔」人
 1 街に出る。飲みにだ。そのたびに、これで最後かな、と思える。
 昨日、外は、びしょびしょのベタ雪が降っている。5時に家を出た。予期したほどには寒くない。長靴にしたから、滑らず、歩きやすい。気車はすぐ来た。次便は「雪」で間引きされるらしい。巨大な札幌駅は苦手だ。ま、渋谷をはじめとした東京よりよほどましだが、ぼやぼやしては突き飛ばされかねない。「貧弱」な北口を出る。かなり激しい降りの中、北大正門前を目指して、歩き出す。退社時なのだろう。傘をさした人となんどかぶつかりそうになる。それでも、ま、順調か? 途中で、若山(「きらく」常連)さんに追いつかれた。
 今日は、井上さんと、3人で飲む。初めての場所でだ。かつて、北大の北端付近に小さな事務所(鷲田研究所)をもっていた。井上さんは、私設助手として、そこで仕事をしていた。北大の近辺では飲むことはなかったが、24条近辺では昼間からよくビールを飲む店があった。かつて、井上さんは、いつでもどこでも、なにがなくてもビール、であった。
 2 若山さんは、歩くのが速い。店を探そうと、どんどん先へ進んでゆく。私は北8~9条あたりをへめぐるが、どうも通り過ぎたらしい。夕暮れ時、雪がちらつき、それらしい店は見つからない。ようよう見つけたとき、やはり通り過ぎていたらしいが、入り口が狭く、看板も小さい。2階が店で、そこは広い。広いカウンターに座って、ほっと落ち着く。間もなく井上さんが到着。そういえば、昨年末にも居酒屋で飲んだはずだ。
 美味いビールと酒、そして肴で腹を満たして、退店。狸小路を少しこえた、定番になった洋酒店に向かう。今日は、差配の2人がいるから、タクシーも簡単に拾えた。エレベータを、最上階で降りる。ここは静かで落ち着く。最上は、トイレ(?)。やはり定番のジン・ベースからはじまり、もう酔っているから名前はとんと覚えることが出来ないウイスキー(多分はじめて)、それにビールを飲んだ(はずだ)。どれも美味かった。え、味は、と聞かれても、憶えられない。そのとき、美味ければ最高、という声が聞えたはず。
 帰宅時(?)だ。タクシーに乗った。やはり拾ってくれたのは、「つきそい」の二人。運転手さんは新米だといったが、定番コースとはかなり違う、真っ暗だからどこをどう通ったかはわからないが、何か「懐かしい」道を疾走する。乗車時、厚別信濃郵便局区横、と言ったはずだが、最速(?)でドンピシャリ到着。自室で腰を落ち着ける前に、規子さんに電話したが、今日は終日除雪だったから、疲れてもう眠ったらしい。
 バックが膨れていた。そうそう、若山さんからいただいた、2冊、松岡正剛『知の編集工房』(朝日文庫)と酒井順子『処女の道程』(新潮文庫)である。二人とも、それらしい書題。ま、愉しみたいが、いまやっている仕事にけりが付くのは、いつか??
 3 22日午前中、「初め」でつまずいていたが、そこは突破出来るかに思える。
 やはり。天武の死後(685~)、それも皇太子のまま草壁が27で亡くなり、藤原史(不比等 689年31歳)が「判事」に任じられ、はじめて「歴史」に登場してから、日本(ヤマト)の歴史が本格始動する。国法(国憲)と国語の「成立」がそのメルクマールだ。日本「独立」の「宣言」から「定礎」への道で、史が「藤原」姓を「占有」する。持統+藤原不比等のコンビは、天智(持統の父)+藤原鎌足(不比等の父)コンビの「復活」でもあった。
 もちろん、史には、天武から「消息」を隠し、持統に登用される(拾われる)までの、雌伏15年ががあった。史は、大宝・養老律令の制定と日本紀(書紀)の編纂を領導(便利な言葉だ)する。「天皇+藤原」政権樹立への道だ。もちろん平坦な道ではなかった。特に、平安遷都(794)までのおよそ110年間は、「女性天皇」をはじめとする、「混乱」と「混迷」の歴史であった。だが国法と日本語の精練と・洗練があり、そして「日本書紀」はなんぼのものか、と口ずさむ、、清少納言や紫式部が登場する。世界文学の「奇蹟」と言っていい。これは『日本人の哲学』第2巻『文芸の哲学』で略述した。ぜひとも読まれたいものだ。