◆240301 読書日々 1633 「光る君へ」(1)
 1 今日のように、雪が積もらないと、ほっとする。雪はねが必要で、それを担わなければならないからではない。結婚以来、雪はねが必要になったのは、1975~83年の、伊賀(神戸)時代から、84~2024年(厚別→長沼加賀団体〔ここは豪雪地帯であった 雪で勤務校への出勤は不能になることが、ままあった〕→厚別)のおよそ40年間の長きにわたる。ほとんどすべて、雪撥ね具は変わったが、妻・規子さんの力に負っている。70歳代の後半に入った現在もそうだ。
 現在は、このマンションの住民の方たちの大きな助力があるものの、常に体の小さな規子さんが率先して、雪はねは敢行される。これには、感嘆・感謝の他ない。ま、言葉だけで恥ずかしいが。(そういえば、父は、終生、雪撥ねを独力でやっていた。広い「店」前を、ていねいに、ときには一日中、芸術的と呼びうるほど丁寧かつ美しく、雪をはねていた。母はまったく手を出さなかった。子供が雪撥ねを手伝わない、両親のいずれかが占有するという意味では、父母の時代と私たち家族の時代で、内容は違うものの、形は同じだ。)
 2 今年のNHK大河、「光る君へ」は力作だ。面白い、というより、恐ろしい。
 日本史の中に数多くの「天才」がいる。
 「天皇」家の創業者中大兄王(天智)やその継承者をマネジングした藤原史(不比等)がいる。藤原道長はその末流で、紫式部はその「末流」=「大河」を泳いだ。
 2010年頃、『源氏物語』に浸っていた。マンガをふくみあれこれ耽読した。その成果を、『日本人の哲学』第1巻「哲学者列伝」に納めた。
《§2 光源氏物語  歴史と小説
△時代小説
 『源氏物語』は「もののあはれ」の文学、「殊に人の感ずべき事の限りをさまざま書きあらわして、あはれを見せたるものなり」といったのは本居宣長である。しかし、折口〔おりくち〕信夫がいうように、「(もののおあはれのように)趣味だとか、哀感だとかという程度でなしに、残忍な深いもの」をもって書いてあるのが『源氏物語』である。
 それに源氏物語の結構は「歴史小説」である。この規定ににわかに頷きにくい人でも、「源氏の一代記」である、さらにいえば、源氏と紫の上を中心に展開される物語である、ということにはさほど反対されないであろう。
 では『源氏物語』はいつの時代、天皇の御代を擬して書いたものであろうか。これははっきりしている。
 源氏の父である桐壺帝に擬せられているのは醍醐天皇(在位 897~930)である。
 源氏に擬せられるのは源高明〔たかあきら〕(914~982)で、 醍醐天皇の皇子、母が更衣の源周子である。高明は九二〇年に源氏を賜姓され、参議、中納言、大納言、右大臣から九六七年に左大臣に進んだ。だが藤原氏に警戒され、菅原道真と似た形で、九六九年「安和の変」で大宰権帥に左遷されて、失脚する。九七二年帰京を許された。
 当代の天皇は七歳で即位した一条天皇(在位986~1011)で、その后は紫式部が仕えた彰子(中宮)であり、道長の娘である。
 もちろん小説である。モデルと作中人物は同じではない。たとえば臣下である光源氏が賜った位、「准太上天皇」などというのは歴史上「前例」がない。『源氏物語』は「過去」物語で、政治的文化的に「現在」とは切れ離れているという「構え」をあくまでもとっている時代物、フィクションであるということだ。
 その特徴をいえば、『源氏物語』の舞台は、政治的には藤原氏の権勢独占を嫌った皇室・天皇が、菅原道真を登用したり、皇子を臣下に降すなどして重用し、藤原氏独占を牽制した時代に当たっている。》(以下次回)