読書日々 980

◆200403 読書日々 980 加藤尚武は哲学界の尾上菊五郎
 1 「読書日々」(010509~)の「校正」版がようやく「現在」に追いついた。全4596枚(400字詰め)で、先行の「読書日記」(133枚)を加えると4700枚を超える。22年間の積み重ねだ。デジタル版「全集」+主著3冊(昭和思想史+現代思想+人生の哲学)=12000枚に比べると、物の数ではないように思える。それに内容も雑駁だ。
 でも時間の連続とその積み重ねがある。出版「バルブ」が潰れた期間と重なる。「惰力」でここまできたともいえるし、長い下り坂をブレーキを掛けずにここまできたともいえる。40~65歳まで、息せき切って登るのがひどくしんどいと思えた。だがじつは65~78までの下り坂のほうがよほど困難であったのかな、と強く思える。「収穫」(harvest)の時期は、刈り取り後の荒涼たる風景を現前に見る、しかも新しい種蒔きの季節が予想しえない季節に入ったことを意味する。
 最近、オックスホードの事件簿・刑事モース(最終回?)で「Hevest」を観たが「収穫=死の祭典」が主題だった。(ここでやめるわけにはいかないだろう。)
 2 『加藤尚武著作集』全15巻の最終刊⑮「応用倫理学」が配布された。1937年生まれの加藤さんは、わたしが学会等でまさか出会ったときは、つねに颯爽としていた。そうそう、団十郎(成田屋)に対する音羽屋・尾上菊五郎であった。
 もちろん大きな影響を受けた。その主要な単行本は、ヘーゲル研究や生命倫理学をはじめ、よくよく参照してきた。『日本人の哲学』第5巻9部(大学の哲学=純哲)で1項をとって述べている。
〈1 加藤尚武  生命倫理学  ヘーゲル
 同じヘーゲル哲学の研究家でありながら、加藤尚武の著述は、ヘーゲルよりもさらに難解な、正確にはハイデガーに拮抗する「造語」群を用いた廣松渉(義兄)とは異なって、「明快〔クリア〕」である。ただし「問題」が明快に「解明」されたかどうか、はまた別である。
1 ヘーゲル研究
 加藤は東大でヘーゲル哲学を専門研究し、1970年以降、精力的に古代から近代へと通底する哲学の成果を批判的に摂取しながら、「現在」の最も生煮え(underdone)で困難な問題に切り込んでいく大学の哲学研究者である。
 その最初の著書が『ヘーゲル哲学の形成と原理』(1980年)で、ヘーゲル哲学の「形成」をたどることで、その「原理」を探り出すことを課題とする。
 (1)ヘーゲルの一個人としての成長過程は、進歩主義から保守主義へというごくありふれたものだ。ただし挫折したのは、ヘーゲルの視点ではない。時代の改革や革命である。
 ヘーゲルの視点はつねに絶対者の存在を「現在性」に求める。この現在性こそ、絶対性を主張する国家と宗教を批判する原理であり、その展開こそ、近代を超える原理に依拠しながら、近代的であろうとするヘーゲルの「哲学体系」で、「真理」こそが絶対的である。ただし「真理」とは「真なる知」ではなく、「真なる存在」である。
 (2)では真理の「現在」を主張する「哲学体系」の原理とは何か。
《全体者のみが単純体である。全体者の自己分節は体系として自己を表す。これが体系の思想である。究極の存在は単純体であるというアトミズムに対するラディカルなホーリズムの存在論が体系思想の背後にある。ヘーゲルが「体系の哲学者」であるのは、「全体者のみが単純体である」という存在論を凝視していたからである。つまり「体系の哲学者」は「体系について語る哲学者」でしかありえない……。》(『二一世紀への知的戦略』1987年 180)
 (3)ヘーゲルが生きることを許された場所が大学であった。同時に、国家(政治)と宗教に対する批判的論究を続け、哲学的批判誌の発刊を、企図し、実行することが可能だった場所である。「不易」も「流行」も引き受けるというのが、ヘーゲル哲学の姿勢である。
 以上の、加藤のヘーゲル哲学観には、加藤自身の「哲学形成と原理」が如実に反映されていると言っていい。加藤は、学生運動を社会主義革命運動の「前衛」として担ったが、保守主義に転じた。しかしそれは加藤が、現実の国家と支配思想批判の視点を変更することではなかった。ヘーゲルよりもさらに「最新の問題」を解剖しようとして、哲学最前線の研究と批判的に切り結ぶことを怠らない理由だ。
2 応用倫理学へ
 加藤が取り組んだ最新の問題群が「応用倫理学」とよばれる分野である。旧来の大学哲学が扱わなかった分野だ。
 (1)その第一作が、『バイオエシックスとは何か』(1986年)で、小さい本だが、哲学分野以外にも衝撃を与えた。(わたしもこの書の影響を受けて、『脳死論』[1988年]を書き下ろした。)
 (2)その後、加藤は、最新の問題に対応する応用倫理学の各分野、生命・環境・技術・情報・戦争・教育・資源・原発等の緊急問題に哲学思考の鍬を入れ続け、著述をものしてゆく。「不易流行」を基本とする態度を維持しながらだ。
 (3)加藤が生きようとした、生きることを許されたのも大学であった。ただし、山形大、東北大、千葉大、京大とポストを移動しながら、2001年、加藤がめざす応用倫理学の知的エネルギーを集約化することを保証する大学哲学の組織体、鳥取環境大学を創設する。ま、加藤は現代のプラトン(アカデメイア)をめざしたように思える。
 加藤が、臓器、とりわけ心臓移植が技術的に可能になり、「死の定義」の変更をめぐる問題に、原理的に答えようとする哲学知の試みだ。
《原始時代から現代に至るまで、死をめぐるわれわれの経験はほとんど変わらなかった。<息>のあるものに<生き>があり、そこに<霊魂>が宿っているのだ。死をめぐる現代の医療技術が、人類の歴史上はじめて、animism の事実的な前提をくつがえした。バイオエシックス(生命倫理)が直面するのはこの歴史的な落差である。原始時代から現代までの死と生をめぐる観念が一挙に転換しようとしている。われわれの心のわれわれ自身も知らない奥底で、原始と現代が触れ合って火花を散らしはじめた。その火花を人間の言葉がとらえなければならない。人間と人間とがその火花をめぐって語り合い、過去の歴史のあずかり知らぬ新しい<おきて>を定めねばならない。
 問題は、われわれがアニミズムの力を内蔵した伝統的な生命意識を否定して、現代人の感覚と理性に訴えて形作る<おきて>が、伝統的なモラルに匹敵するだけの普遍化と実在性を達成することができるかどうか、という点にある。》(『バイオエシックスとは何か』 20~21)
 「現在」が提起する最新問題に直接解答を与えるというより、正しい解答を引き出すための「前提条件」=諸原理を明確にする、命題化する、これが大学の哲学(純哲)が引き受ける課題だとする。ただしそのためには「純粋」哲学の幻想を捨なければならないとするのだ。至当である。
 「脳死」という新しい死の定義が、どこから生まれ、どのような思考を内蔵し、どこに向かおうとしているのか、過去の哲学遺産を総動員するようなかたちで「生と死」を再吟味しながら、最新の科学技術と哲学が与える諸回答を吟味してゆく。加藤の手法は、患部を切開する外科医のそれとよく似ているように見えるが、じつはあくまでも哲学固有のものである。論理は明快だが、治療や快癒と関係しない、より難題に属するものだ。哲学の「現在」=「限界で働く精神」である。
 *加藤 尚武 1937.5.18~ 東京江戸川生まれ。63年東大文(哲学)卒、68年同大学院満期中退。68年東大助手、69~72年山形大講師・助教授、72年東北大助教授、80年千葉大教授、94年京大教授、01年鳥取環境大学長ほか。
 主著は上記の3冊のほかに、『哲学の使命――ヘーゲル哲学の精神と世界』(1992)、『哲学原理の転換 白紙論から自然的アプリオリ論へ』(2002)〉
 七代目(1942~ 人間国宝)はぞんぶんに老けたが、八代目を継ぐ(であろう)菊之助がまたまた美形で颯爽としている。加藤さんは膨大な著作を残した。それを継ぐ者がいなくてどうする、そう強く思える。