読書日々 983

◆200424 読書日々 983

3800~4300~3400~2000の旅
 1 大河ドラマ「麒麟が来る」はとても面白い。新しい知的関心を引き出すに足るできあがりであるといっていい。もちろん、コロナウィルスの来襲もあって、他の編成換え期の新作品があまりにも低調だということもある。が、ストーリイに加えドラマと俳優自体が素敵だ。なによりも光秀や信長が従来の型から抜け出ている。帰蝶の代役(川口春奈)もいい。
 この作品、あまりにも圧倒的だった司馬遼太郎の信長-光秀関係像の影響を半身抜け出そうとしている。それに実際、光秀は信長旗下の武将のなかでも抜群の働きをした実力軍団を率い、細川(丹後)や筒井(大和)勢等を加えると、優に200万石を超える「所領」を有していた。いってみれば城もちやたんなる派遣軍団の並び「大名」(one of them)ではなかったことになる。
 もっとも信長がめざしていた支配構図(天下布武)は「封建制」の再編成(幕藩体制)ではなく、中央集権制(郡県制)であったように考えられる。その構図のなかで、光秀のような巨大軍団の独自存在は許されようもなかっただろう。ましてや「都」をぐるりと取り囲む要衝の地(坂本・丹波・丹後・摂津等)を任されていたのである。他領、それも遠隔地への配置換えは「必死」であったと見た方がいい。ちなみに明智日向守であったのだ。
 さて物語の滑り出しはいいとして、これからどのように展開してゆくか? 楽しみだ。凡庸に堕さないことを祈る。
 2 外を出歩かない。ときどき、家の周りをぐるりと徘徊するだけだ。学校も休みだから、こどもにも出会わない。ま、静かでいいが。
 勢い、「仕事」(?)が進んでしまう。といっても、「整理」が主務である。まずいことに(?)どんどんはかがゆく。それでというわけだが、再放送のTV番組をつい見つけてしまう。
 時間が有り余るほどあるから、録画して3度も見てしまった番組が、先週の金曜(4/17)、ハイビジョンスペシャル「世界の山岳鉄道~列車は天空をめざす~アンデス越えてインカの都へ~ペルー南部鉄道850km、初回放送2001」である。
 圧巻はチチカカ湖とクスコの中間にある最高標高地点4319mの ラ・ラーヤ駅(富士山頂よりも600mほど高い場所にある駅舎・駅員一人。単線で、反対方向の列車とすれ違うため、かならず一時停車)をめざして登って行くところだ。
 ペルー第2の都市、アレキパを出発した列車(旧式ジーゼル機関車)はアンデス山脈、ティティカカ湖畔(3810m)を経てゆっくり、ガタガタ揺れながら、ラ・ラーヤ峠を越え、インカ帝国の古代都市クスコ(3390m)へと下り、そこで軌道を換え、マチュピチュ駅2000m)に到着、そこから徒歩で遺跡(2430m)にいたる。遺跡をたどるというより、わたしの好きな、ただ列車に揺られる旅だ。マチュピチュへ向かう深い峡谷を流れる川がアマゾン川の源流である。(ティティカカ湖を渡るとボリビアだ。)
 案内人は、関川夏央(1949~)で、20年前だから、かなり若い。この高度移動の旅が一見である。しかも、20年前の旧式列車だ。関川には『汽車旅放浪記』(新潮文庫 2009)がある。関川は宮脇俊三の愛読者だ。
 3 関川『汽車旅放浪記』は通例に倣って松本清張『点と線』(1958)をトラベルミステリ(本格推理)の走りだとしている。ま、通説にしたがってのことだろうが、鮎川哲也『黒いトランク』(1956)が本格推理として先行しているのだ。鮎川の処女作だ。両作品の殺人舞台も同じ北九州の小さな駅付近だ。もし清張が鮎川の作品を読んでいたとしたら、あの程度のトリック・アリバイ作りで済ますことなどできなかったに違いない。
 否、そうじゃない。清張は『点と線』でベストセラー作家の地位を築くことになるが、鮎川はついにベスト作品を量産したが、ベストセラー作家にはなれなかった。こういうことか?
 だが鮎川はベスト作品を書くことに徹したか、というと、まったくそんなことはない。鮎川は筆一本で生きようとしたし、生きた。フリーランスといえば聞こえが良いが、作品が多少にかかわらず売れなければ、収入の保証はなにもない、ルンペンさながらの生活を強いられるのだ。それでも二人の違いを、鮎川が母親を、清張が両親や子どもたちを扶養しなければならない、という境遇に違いに求めることはできない。本筋は、筆(一本)でどんな作品を生むかなのだ。