読書日々 865

◆180119 読書日々 865
中谷宇吉郎の「雪」、あるいは中谷の清冽さ
 *操作ミス(?)で、ゴミ箱の情報とともに、およそ15行が、消えてしまった。早く目覚めた故なのか? 気を取り直して書き直すほかない。

1 中谷宇吉郎は、人工雪を世界で最初に作ったことで、あまりにも有名だ。北大(物理学)の華と讃えられる。本当か?
 中谷は、1900年、片田舎の片山津温泉で生まれた。父が夭折したので、家業(呉服雑貨)を継がなくていいことになり、中学、高校へと進んだ。だが、旧制4高(金沢)受験に一度失敗する。日本のナンバースクールは、学区制(8大学区)をベースにしたわけではないが、東京、仙台、京都、金沢、熊本、岡山、鹿児島、名古屋に置かれた。4高は名門で、片田舎の受験生を受け付けなかったそうだ。高校(高等中学校)時代は、興味に任せて様々な本を読んだが、アインシュタイン等の声望(流行)もあって、理論物理に進もうとし、東大の物理に進学した。ここで寺田寅彦に会い、数学が苦手なこともあって、門下生となり実験物理を専攻する。ある日、寺田に、高校受験の失敗を語ると、それは「いいことだ」とむしろ褒められた。不運は、幸運への入り口になり得るという意味でだ。
 実際、中谷の人生は糾える縄のごとしであった。父の夭折と家業の衰退が、学業に専心できる機縁となった。東大を出てからも、幸・不運が重なった。二つだけあげれば、東大物理で同期の藤岡由夫(理論物理)の妹(?)と結婚したが、新妻を残してロンドンに留学中、ジフテリアで喪った。また、北大に赴任し、人工雪の制作等で北大(物理学部)に大きな声望をもたらしたが、低温(雪・氷・霧)研究が軍事利用を含んだことで、中谷は戦後、ゆえない指弾を浴び、低温科学研究所を退職する。このような変転にもかかわらず、中谷は淡々と低温科学研究を続け、寒冷地の産業と生活に、そして著作で、大きく貢献したのだ。
 中谷の『雪』(1938)は、寺田寅彦(漱石門下)の伝法を引き継いだ科学随筆の傑作本で、鈴木牧之『北越雪譜』(天保期の民俗・地誌)からはじまり、西欧の雪研究の歴史に話が及び、自身の人工雪制作へ、そして、雪(氷・霧・霜)の利用等へと話が及ぶ、啓蒙書にして科学研究の最前線を紹介する書物になっている。
 科学・技術の研究が軍事科学・技術研究と接点を持つのは当然(natural)で、むしろ、まったく軍用に転化しない、あるいは軍事科学技術からの転化でない、「純」科学・技術こそ、アンナチュラルで、困難なのだ。(そういえば、TVで、アンナチュラルという医療犯罪番組が始まった。石原さとみが独り立ちした!)
2 どこかで一度書いたので気が引けるが、繰り返さざるをえない理由がある。1970年代末であった。文学「少女」に、坂口安吾の小説は読んだ、と聞くと、読んだが、とても読めるものではない。文章が古すぎる。こう宣うのだ。わたしが60年代初めに読んだ安吾は、とりわけその文章は、キラキラ輝いていた。鮮烈だったのだ。バカな、そんなはずはない、と、すぐに再読した。「風と光と二十の私」や「青鬼の褌を洗う女」で、戦後絶好調の時代の作品だ。だが、30代の半ばを過ぎていたわたしにとってさえ、安吾の文章(文体)は古く、カビが生えていたこと、歴然だった。
 先週、チェスタトン『ブラウン神父』の訳文(福田恆存、中村保男)が古臭いといったが、じつは、100ページを超えないうちに、何の抵抗もなく、すいすいと読めてしまっているのに気づいたのだ。新しい、キラキラしている、と思えた村上春樹の最近の言説が、内容ばかりでなく表現さえ紋切り型に感じてしまう。
 なぜ、折口信夫や中村幸彦、谷沢永一や渡部昇一の文章・表現が、ニュースタイルに思えてしまうのか? 内容が新しい、正確には、紋切り型ではない、そう、古臭くならないからだ。そう確信できる。例えば南部陽一郎(物理)の諸著作のようにだ。湯川秀樹のように、(土俵を降りた)「大家」の感覚で書いてはいない。新手一生(「初心」で、つねに新人であるという覚悟で事に当たる)なのだ。わたしにいちばん欠けた心意(mind)ではなかろうか。