読書日々 868

◆180209 読書日々 868
本は排便のお供から
 日の出が少しずつ早くなるのが感じられるようになった。といっても都会のマンションの一隅だ。細めに開けたカーテンごしに、一人眺めるにすぎない。
 1 昨日、TVで、霜降・神戸牛ではなく、牛ステーキ赤身肉のうまさを強調する番組を、パリの熟成肉とアルゼンチンのフレッシュ肉で比較する取材で、見た。たしかに、ニュヨークで砂田(編集者)君と食べた巨大ステーキは堅かったが(故に)美味かった。二枚も食べた。だがフロリダの田舎(?)のイタリアンレストランで食べたステーキは赤身の絶品で、ステーキはこれにとどめを刺す(のでは)と思えた。
 年をとると、ときにふれ、食べた物の記憶がよみがえってくる。大して旨いというものを食したおぼえはないのに、いまどきの物とつい比較している。小さいとき、年二回、家族で札幌に出て、映画を見、食道で食事を許された。腹一杯食べるか、それとも(偏食の)父と一緒に、天政で天ぷら(と寿司のどちらか)を食するか、いつも迷った。母姉妹はいつも豪華より実質を選ぶのが常だったが。
 18歳で家を出てからは、ひとりで旨いものを食べたい、という欲望のチャンスを持たなかったが、30代の後半から酒を飲み始めて、酒のあてが食事の主流になっていった。「人間とはその食べるところのものである。」(フォイエルバッハ)と「最後の晩餐」(開高健)がわたしの食の「聖典」になった。ま、歯はガタガタ、舌はボロボロということになったが。「背負い水」と言われる。わたし流には、一生飲む「酒」(水)の量は決まっているということだ。「抱え腹」といってみたい。一生食う量は決まっているということで、どんなに「大食い」でも自ずと食は細くなっていく。これは自然だが、漱石、荷風、潤一郎等々、臨終まで食への「執念」が尋常ではなかった(ように思える)。いま食わなかったら、いつ食える、というスタイルだ。「吝嗇」といっていい。
 2 今野敏の最新刊『隠蔽捜査7  棲月』(18.1.20)がやっと届いた。大森署長に降格されたエリートの竜崎伸也が、ついにあの因縁の神奈川県警の刑事部長に転身する。まだまだ続くね。この本が届くまで、エラリー・クイーンの短編集をめくりだした。まだ長編の「国」名シリーズも終わっていないのにだ。いまようやく「オランダ靴」を手に取ったばかりだのに、だ。そうそう、鮎川哲也のときもそうだった。長編に耽溺し、短編の「女殺し」に辟易しつつ、長編に戻り、ああでもない、こうでもありだと、自ら迷路に入ってゆく。山前譲の解説やエピソードで、どうしようもない鮎川の風変わりぶりに感嘆し、(そういえばわたしも、他人の家に、実家を含めて、足を踏み入れるのが苦手で、ましてや一人で泊まるなどは、泥酔していなければ、ありようもないと思えた。実行してきたように思える。それが息子にも完璧に伝染しているようで、)また、それが鮎川が好きな理由でもある。
 3 この年になっても、新しい本を「購入」でき、手にし、読むことができるなどとは、とても思えなかった。どだいケチな性分である。わたしの家系(両親)に読書家がいなかった理由でもある。それでたいした本を読んでこなかったが、読書は頭のトレーニングていどと思い続けてきた節がある。あるいは便秘で、本を持ってトイレにはいらないとスムーズに排便困難になるのでなかったなら、あの本もこの本も読まなかったに違いない。つまりは、一つ事に集中しないための「秘薬」が読書ということであったように思える。
 それが、気がつくと「読書」が仕事になっていた。40代のはじめ、超安い稿料で、書評が舞い込むようになった。全部、やりとりが電話(注文)・本の送付・ファックス(原稿)で、すぐファックスだけになり、メールだけになっていった。過疎地に住んできたのが原因でもあったが。ま、そんなわけで40年間、仕事で本を読んできた。その惰性で、仕事がなくなっても、本を読んでいる。