読書日々 900

◆180921 読書日々 900
「書評」を正面に掲げた『唯物論研究』と季報『唯物論研究』
 じつに冷涼で透明な朝晩になった。この1月余り、Mの外装の補修=化粧直しで、網がかかり、電波障害が生じ、BS放送を見ることができなかった。それで期限つき無料放送Netflixを堪能した。「深夜食堂」はシリーズ3、それに映画まで2周りも見てしまった。何せ、夜が長いのだ。ただし、今日明日にも、足場や外網が除かれる。TV番組に印をつける習慣が復活する。
 1 『季報唯物論研究』(という雑誌)がある。最新号が第144号(2018/8)で、特集「明治150年」、欠季無し、堂々144/4=36年間続いている。研究論文誌である。薄っぺらではない。大阪大学哲学科出身者が創設し、維持してきた全国で唯一、世界でも皆無と言っていい(だろう)、「唯物論」(メインはマルクス哲学)を研究・普及する全国紙だ。(連絡先:560-0021 豊中市本町6~9~7~402、季報『唯物論研究』編集部。メール:kiho-yuiken@mbn.nifty.com)
 現在編集長は田畑稔、代表は木村倫幸、それに長く会の中心を担ってきた平等文博、そして昨年亡くなった笹田利光の4人は、すべて阪大文学部哲学科出身である。田畑は独哲、笹田・平等は仏哲、木村(鷲田:郷里に戻って退会)は倫理学専攻で、全員、「哲学研究会」のメンバーだった。
 木村君は同じ研究室で机を並べたなかで、長く高専の教壇(教授)に立ち、この雑誌では、「書評」を中心に執筆している。著書に『鶴見俊輔ノススメ プラグマティズムと民主主義』がある。ちなみに、田畑と木村は同じ「名張」出身で、江戸川乱歩の出身地だ。(わたしも8年間、名張のとなりの上野市(現伊賀)に住んでいたことがある。)
 木村は最新号で、中相作『乱歩謎解きクロニクル』(言視舎)の長い書評をしている。中は、名張図書館から出版された乱歩の書誌・往復書簡(計3冊)の編集者だ。木村の書評のよさは、著者に寄り添ったていねいな紹介と、著書のよさを浮き彫りにする柔らかい評で、深掘りとはいえないが見事なリリーフ(relief)をみせている。
 ところで「書評」といえば、それを「研究」の基部においたのが、戦前の雑誌『唯物論研究』で、その中心にいたのが戸坂潤だ。同じマルクス研究者であった三木清と戸坂潤は、西田幾多郎の門を敲くために、一高から京大哲学に進んだライバルだった。ただし、戸坂の「書評」は、党派的というか、かなり好き嫌いがはっきりしていて、平板だった。書評を研究のベースにおいた功績はあるが、その「書評」そのものは「研究」の材料になるものは少なかったといっていい(だろう)。
 田畑を中心とした、季報唯研・名張「党」(そうそう名張悪党=黒田党、悪党とは独立独歩の党=たとえば楠木正成率いる党)の書いたものを、一度手に取り、読んでみてはいかがだろうか。もちろん、乱歩もね。木村書評だけでも、ためになるよ。
 2 予告したように、最新刊拙著『大コラム 平成思潮』(言視舎 181001)ができ、昨日、落手することができた。とてもいい本の造りで、装丁も斬新だ。
 文字通り、平成の開始とともに、匿名・署名コラム執筆(連載)が、毎日・北海道・朝日・東京新聞の順で、舞い込むようになった。一つ連載が終わると、次というように、途切れることなくだ。それも「変化球」(毎日)、「大波小波」(東京)というような人気(?)コラムであった。道新では、署名・匿名様々な形で、ときには写真入りの「いまを読む」のメンバーに登用された。ま、わたしも、およそ12年間のあいだ。マスコミの紙面を飾った(汚した)わけだ。
 といっても、書きたいことを書いたに過ぎない。わたしも好き嫌いが激しいが、コラムを書くことになんの躊躇もない。むしろ左手で右手を縛ること、しばしばだった。師の谷沢永一はコラムが似合った。650字がいちばん書きやすいといった。もうひとり、コラムの名手に、清水幾太郎がいる。じつに気張らずに書くが、わたしは清水流の作法をまねた。どんなネタでも、100字程度のことでも、特に著書あるネタについて書く場合は、その関連著書を全部横に置いて、書くこと(じっさいには全著書をそろえることは不可能だが)をマナーとした。「書」を、「書評」を書くことの中心においてきたということだ。
 著者に、たとえ谷沢、渡部昇一、曽野綾子、長谷川慶太郎等々の愛読著者たちでも、直接会うことはむしろ避けてきた。もちろんジャーナリストもだ。自分から尋ねるなんて、まずなかった。ま、曽野さんは別かな。この人、かなり乱暴に(を装って)接するので、面白い。