読書日々 942

◆190712 読書日々 942
職人が消えた 斎藤隆介『職人衆昔ばなし』
 晴れ間がつづいたこの月、雨模様というか、ひさしぶりの曇天日和である。9時のバスで歯科医へいってきた。
 1 季報唯研に「世界の〈今〉を読む:この一冊」の特集で、山本夏彦『わたしの岩波物語』(文藝春秋 1994)を紹介(3000字)する約束をした。締め切りは7月末。
 岩波書店と朝日新聞は、戦前も戦後も、日本の世評、世論をミスリードした張本人だ。そのことを単刀直入に指弾し続けたのが、山本で、インテリア誌「木工界」→「室内」の編集謙発行人であった。その朝日も岩波も、戦後ずっと「戦犯」を指弾すること甚だしかった。しかし、朝日も岩波も、戦前戦争政策に迎合あるいは世論をミスリードしたことに頬被りをしたまま、戦後は、正義=反権力と平和・人道の使徒面をし続けている。だが、ロシアや中国、北朝鮮には今も昔も、批判らしき批判をしてこなかった。
 といっても、わたしは朝日をとり続けている。他の新聞よりも総じて読みやすい。日経、読売、毎日、サンケイ、大同小異だ。
 2 山本夏彦、職人が消えてゆく。消えないうちに記しておかなければならない、と斎藤隆介『職人衆昔ばなし』(文藝春秋 1967)を「室内」に長期連載した。いまではもう消滅した「職人」の「芸」談である。
 「序」を福田恆存が書いている。とても面白い取り合わせなのだ。山本の共産党嫌いは筋金入りだ。福田は共産主義を主敵として、赤から紫、薄ピンクまでを相手に、戦後論壇で「生き埋め」覚悟で論を張った。共産主義を利するような議論に対しても容赦はなかった。ところが、斉藤は生粋の共産党員で、その出版記念会には、どうもそれらしい人たちが続々と参加していたそうだ。ただし、長期連載が終わるまで、斉藤の正味はまったく気づくことがなかったようなのだ。「職人」をアルチザンという。アルチザンにしてパルチザン(党員)ということか。なお、斉藤、舟橋聖一の「弟子」を名乗り、創作児童文学でも著名だった。
 3 TVドラマのチェンジ期だ。ところがみすぼらしいラインナップで、新顔でそそられるのは「監察医朝顔」くらいか? 実に寂しいかぎりだ。
 ひさしぶりに(?)上野樹里が主演で、とても垢抜けした役を演じている。最近続けて時任三郎をドラマで観るが、敏腕刑事で父親役を気張らずにゆったり演じている。いいね。
 背景は、震災と津波で失われた(?)母親、その夫で朝顔(法医学者の卵)の父、さらには母親の父との四角関係が「キズナ」であるらしい。
 ミステリーチャンネルはとうとう種切れになった。さあ、どうする。
 4 わたしの文字通りの処女著書は 『ヘーゲル「法哲学」研究序論』(新泉社 1975)である。同時に就職(津市立三重短大 専任講師)がとつぜん舞い込んだ。大学への就職をほとんど諦めざるを得なくなったときだから、天から降ってきた幸運と思えた。
 静岡大学短期大学部の高橋洋児さんが「書評」してくれ、広松渉先生を紹介してくれた。先生が主催する社会思想史研究会にも、ゲストで一度参加させてもらった。今村仁司、井上五郎、等々にお会いしたように思える。
 この処女著書、『知識と労働』(新泉社)の編集をしていたとき、新泉社の小浜良久(社長)さんが出してやるというので、まとめたものだ。このての本としては、5刷りまでいった(よう)なのだから、もって瞑すべしとしなければならないだろう。本が、哲学研究書などは売れなくなってひさしかったが、この本、のちに言視舎の杉山(元彩流社)さんと出会える機縁となった。『近世西欧社会哲学の精髄 ヘーゲル、マルクスからスピノザへ』(彩流社 2006)は杉山さん編集だ。