読書日々 958

◆191101 読書日々 958
江藤淳『夏目漱石』1960
 11月にはいって、例年になく落葉がきれいだ。現在、外は12度、冷える、といいたいが、風呂(シャワー)に入ったばかり。体がほかほかしている。冬になると、いちばん堪えるのが湿度の低さだ。そのいやな季節が近づいたが、部屋の中はガスストーブと加湿器が回っている。ま、極楽かな。
 1 古本屋は、赤鉛筆跡や付箋があるのか、夏目漱石全集(角川書店)を持って行かなかった。さいわい旧書庫に残っている。妻に掘り出してきてもらった。手に取るとやはり懐かしい。
 先週辰野隆について触れた。辰野は漱石の愛読者で、彼の結婚式に新婦の姉の縁で漱石が出席し、そこでつまんだピーナッツが「引きがね」となって死に至ったと書く。その関連を自分の目で確認しようと思っていたところ、たまたま第8巻に、『門』連載(明治43/3/1~6/12)が終わった直後、体調を崩し(痼疾の胃病)、退院後静養のため伊豆は修善寺に行く。そこで大喀血をし人事不省に陥った。どうやら持ち直し、10/11帰京、翌年2/26まで入院……、その経緯を書いたのが「思い出すこと」である。長尺だ。どうも読んだような、読んでいないような……。
 多少持ち直し、「本格的」(?)な読書が可能になった。病気の間、ウィリアム・ジェームズが亡くなる。漱石の文学観に大きな影響を与えたアメリカの哲学者で、「純粋経験」という概念を提出する。(もちろん西田幾多郎以前にだ。)ジェームズ兄弟の評価も面白いが、ジェームズに触発されてレスター・ウォード『ダイナミック社会学』(1883)を読破し、それに評価(辛い)を下しているところにであった。このウォードの本、三宅雪嶺が若いとき「翻訳」(訳述)している。「上」(それでも厚い)しか出なかったが、雪嶺も「題名」の「ダイナミック」に惹かれて読んだ(に違いない)。漱石と雪嶺の関係はかなり密で微妙だ。ただしくどくなるのでここでやめよう。
 2 漱石を本格的に読むようになったのは、この全集を買ってからだが、読む機縁を与えたのは、江藤淳『夏目漱石』(講談社 1960)である。卒業論文をもとにした本とあった。この読書は強烈で、作者の才能とともに、わたしの「文豪」観をひっくり返すほどの(たいして読んでいなかったのに)衝撃を与えた。ために、漱石は『明暗』を除いてすらすら読めたのに、そういうわけにはいかなくなった。辰野隆は『明暗』(未完)の漱石を「異常者」ギリギリのところまでいった人のように書いているが、江藤は「自分と漱石」の視点で書いている。わたしの好きな西脇順三郎や吉田健一が最も嫌うタイプの評論家ではないだろうか。
 西脇は江藤が慶応時代の主任教授で、「今日は江藤君が出席したので授業は取りやめます」といって、江藤を排撃したそうだ。のちに江藤は慶大教授になったが、どうも学長になりたかったそうだ。ま、どうでもいいが。江藤は漱石から何を学んだのだろうか? 何を学びたかったのだろうか?
 3 辰野隆『大学生活第二』(光文社 1955)の作者と書題に惹かれ、アマゾンで購入した。開いてみると辰野は編者で、それも2Pの「まえがき」と2P余の「フランス語盛衰譚」を書いているに過ぎない。それでも戦後の代表的教授たちの「(主としてわたしの外国)大学生活」エッセイ・オンパレードで、当時は貴重な情報であったに違いない。なにせわたしたちの先生がたは留学経験がなく、その点で西田幾多郎や田辺元と同じであった。ま、留学経験をひけらかす程度の人たちより、なんぼかラクだったように思えるが。
 購入して気づいたのは、なぜに『……第二』であったのか、だ。天野貞祐編『大学生活』があったのだ。林健太郎、丸山真男、大塚久雄、田中美知太郎、都留重人等のエッセイが並んでいる。入手していないが、名だけでも壮観ではないか。光文社の社長・神吉晴夫は本を「売る天才」だったそうだが、わたしでも手に取って読みたくなるメンバーの勢揃いだ。といっても、自分ではこの手の類を買ったことはなかった、と思う。読むならまず著書、それも主著をであった。ずいぶん時間がかかったが、田中美知太郎『プラトン』(全4巻 岩波書店 1979-1984)を読了して、その全エッセイが読みたくなった。丸山真男『戦中と戦後の間 1936-1957』(みすず書房、1976年)は最後に読んだが、最初に読むことが出来ていれば丸山の評価もいくぶん変わっていただろう、と思えた。