読書日々 1018

◆201225 読書日々 1018 「狼が来た!」
 1 今年最後の日記。「反省」(? ま、居直りの類だが))めいたものを書く。
 1 運動(?)不足というか、皆無というのも、ま、仕方ない。「運動すると、頭がバカになる」というのがわたしの指針だった。いまさら変えるわけにもいかない。
 2 昨日、ひさしぶりに歯科医にいった。定期検診のため(ということ)だ。すぐに、30代の男がわたしを睨んでいるのに気づく。マスクをするのを忘れていたからだ。ずーっと離れているのに、感染することはない、と思えるが、エチケットだった。
 医者に、痩せられましたね、といわれた。「歳ですから」と応じたが、食べる量を減らしたからだ。その分、酒量は増した。うまくゆかないね。
 3 小林よしのり『コロナ論 2』(扶桑社 201224 1200円)を読む。圧巻は、特別インタビュー 宮沢孝幸 〈コロナ禍は「疫病」ではなく「人災だ」!〉であった。「人災」とは、新型コロナは「未知のウィルス」でなく、コロナウィルスの劣(弱)性型で、「3月時点で日本は最大限見積もっても、死者はせいぜい8000人と言っていた。」
 じゃあ、なぜ日本の死者数が他国と比べて少ないのか? その事由もかなり突っ込んで述べている。わたしの大雑把な感想では、「コロナ禍騒動」は、まさにマッチポンプと化したマスメディアの誇大「コロナは怖い! 怖い!」と続ける恐怖報道、専門家と言われる医者(研究者)の妄言と無能、等々、ま、新聞やTVで報じない「事件」は存在しない、という山本夏彦の「格言」がドンピシャリ当っている。
 4 ずーっと三宅雪嶺論の仕上げにいそしんできた。これがややっこしい。
 雪嶺の書いたものは、その主著『宇宙』をはじめ、吉本隆明の「重層的非決定」の淵源とでもいうべき、イギリス経験論、とりわけヒューム「関係の絶対性」=「非必然論」の精髄を受け継ぐものだ。
 それが、5/15事件と満洲事変以降、イケイケドンドンの「原因→結果の必然論」一本槍に陥ってしまう。「観察と比較」がなおざりにされる。「基本的人権」=「わたしの生命と財産の不可侵」=エゴイズムの根拠が希薄化され、無化されて当然という方向に進んでゆく。私的利益の追求を基本とする資本主義の「制限」は当然で、国家社会主義OKになる。……
 だが、国家社会主義(者)から、資本主義(擁護)へと進み、ポスト資本主義(OK)へと進んだ吉本隆明の経緯と比較するに、雪嶺と隆明とを結びつけると、近代日本の哲学史になる。否、世界に開かれた哲学史になる。
 5 余すところあと6日。退職する前は、この6日間に1冊書く、という心持ちで来た。だが退職後は、8年、随分以上に読んで書いてきた。反動で(?)ゆっくり酒を飲んで、心を癒やして(?)きた。雪嶺論も大団円を終えた。酒量を減らす理由が出来た。
 だが、今年は街に出ない。半面、各方面から、いつもより多く、酒の宅配便が届いている。一人では飲みきれない量だ(と思える)が、……
 6 来年は80歳だ。満では79歳ということだが、満では、生れた年月日が歳の基準となるので、大枠が判明しない。そういえば、母は、よくよく、おまえが逝ってから死ぬといっていた。ところが母は生きていたら今年すでに102歳になっていたことになる。もって瞑すべしだろう。
 7 コロナ禍がどんな形で終焉を迎えるのか? これは来年のお楽しみだ。人間は、災禍を忘れるなというくせに、すぐ忘れ、やってきた新災禍に過剰反応する。ま、わたしもその一員だが、「狼が来た!」はいやだね。