カテゴリー別アーカイブ: 著書

知的読解力養成講座(言視舎)

知的読解力養成講座

あとがき
1 わたしは、大事なことは、大小にかかわらず、親をも含めて「他者」に相談しない。こういう性癖(habits)で生きるのを常としてきた。それで、しなくてもいい失敗を重ねたといっていい。
  それでも、迷路に踏み込むこともあったが、その誤りを多少とも克服することができたのは、「本」があったからだ。そうそう、「本」を読んで、誤読を含め、間違いを犯すことも多々あった。だが、その誤りを訂正することができた(と思えた)のも、「本」を読み、理解し、判断してきたからだ。
  「読書」(書を読む)は「余暇」ではない。「仕事」に熟達し、「人生」を豊かにすごすのに欠かすことができないものなのだ。
  そんな?! むしろ逆で、仕事に熟逹し、人生を豊かにするためには、面倒くさい書を読み解するなどは、よけいで辛気くさいことにすぎない。こう考えている人が多いだろう。そうではない、と強くいいたい。
2 「人間」とは何か? 人間はどうして人間以外のものから人間になったのか? 自立した人間になるのか? 他でもない、「ことば」をもったからだ。「ことば」を自在に使うこと(読み解し書く)ができるからだ。
  つまり、「人間」とは「ことば」であるということだ。人間は「ことば」によって「仕事」を、そして「世界」(世間)をよりよく知りかつ理解する。
  「ことば」によってできあがったものが「本」(book paper)というものだ。「本」を通して、仕事を、人間を、人間世界を読みかつ理解する。それが人間業〔アート〕だ。人間の「本質」といっていい。
  これが「本書」を書いた理由だ。この思いが皆さんにすこしでも通じれば幸いだ。(78歳を直前にして)

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福沢諭吉の事件簿III(言視舎)

福沢諭吉の事件簿III

最後から二番目の著作
『日本人の哲学』(全五巻全十部)を最後の著作と思い、渾身の思いで書いた。 幸い、力が残っていた。念願の福沢諭吉論と三宅雪嶺論を書ける力が残っている のではと思えた。それで四年余り、先ず諭吉論Ⅰ~Ⅲである。
 ミステリ仕立ての時代小説だ。諭吉は仕事人としては、作家であり、起業家で あり、教育者だ。その諭吉に「謎」の部分、まったく『福翁自伝』には登場しない「顔」 がある。思想家=哲学者として「無視」できない顔で、その中心部分を明らかにし たい。
 「論文」スタイルで書くのは、さほど困難ではないように思えた。だが困難を覚 悟で小説にした。なぜか?
 福沢論の基本となったのは、三宅雪嶺(哲学者)で、その雪嶺に歴史と人物評 価の核心点をもっとも教えられたのが司馬遼太郎だ。ところが、司馬は、残念な がら、諭吉を描かなかったばかりか、諭吉が書かなかった「自分」史と根本で違う メッセージを与え続けた。司馬の限界で、司馬好きのわたしにとって見過ごすこ とはできない。
 「異論」を展開したいのではない。諭吉の「謎」は諭吉の著作にある。これが 「正論」だ。この定則をあきらかにするために、二人の人物に登場、活躍を願った。 坂本竜馬であり、福沢由吉(ゆきち)である。
 くわえて、この長篇は、幕末~日清戦争間の重要事件=歴史を知ってもらう縁 (よすが)となればと、くわえて生きた諭吉の「貌」が明らかになることを願う。
 最後に興味津々かつ知的な時代小説であることをお約束します。(20190804)

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福沢諭吉の事件簿Ⅱ(言視舎)

福沢諭吉の事件簿Ⅱ

福沢諭吉の事件簿Ⅰからのつづき)
3 福沢の思想上の位置
 福沢諭吉である。もとよりわたしが書くのだ。「哲学者」諭吉をである。
 したがってこの小説には、家族愛に満ちた諭吉は寸毫も登場しない。また諭吉はすぐれた起業家である。その「弟子」たちも、日本の財閥マネジャーとして活躍したが、本書には少数が例外的に登場するにすぎない。
 わたしは近代日本の哲学者「三傑」を、福沢諭吉、三宅雪嶺、徳富蘇峰とする(『日本人の哲学 1』)。この場合、「哲学」とは、「大学哲学〔スコラ〕」(純哲)ではなく、孔子とプラトンがいう「愛知=知の総体」(雑知)のことだ。西田幾多郎ではなく三宅雪嶺の「知」である。
 諭吉は『西洋紀聞』でデビューし、『学問のすゝめで』で押しも押されもせぬ国民作家になり、「腐儒」を弾劾し、「門閥制度は親の敵」と断じる。だが諭吉は「儒学」の徒であり、「尊皇」家だ。幕吏に列してさえいる。
 諭吉の思想は、義塾の設立と経営のなかで鍛えられ、作家・教育者・ジャーナリストという大衆〔ポピュラー〕な場で活躍した。雪嶺、蘇峰に共通な、明治期哲学者の特徴でもある。
4 三宅・司馬・西部、すべてわたしのモノローグ=ダイアローク
 最終章(Ⅲ、17「富国と強兵」)で、三宅雪嶺、司馬遼太郎、西部邁の三氏に登場を願い、架空対談におよんだ。諭吉をよく知る三氏であり、わたしがよく知る三氏でもある。
 三宅は「国粋保存」を主張した。司馬は、福沢の徒のように見えるが、「脱亜論」の「瑕瑾」を言い立てた。西部は諭吉を儒学の徒、「実学」=「人間関係学」とみなす人として、欧化主義者・合理主義者とみなす俗論を徹底批判する。
 この対談(正しくは鼎談)は、いうまでもなく、すべてわたしのモノローグ(独白)である。そして忌憚なくいえば、自分のなかに他者を飼い養うほかないのが、思想をこととするものの作法である。この作品が、時代小説の体をなすにいたった理由でもある。
 肩の荷が下りた。まだ別な課題が残っているように感じるが、いまは考えまい。

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福沢諭吉の事件簿Ⅰ(言視舎)

福沢諭吉の事件簿Ⅰ

1 諭吉は諭吉の「著書」のなかにいる?
 わたしの「人生時刻表」によれば、『日本人の哲学』(全5巻・全10部)を書く、が「最終」便であった。幸い、とにもかくにも仕上げることができた。心身ともにヘロヘロであった。
 「山」から下りて、「愛郷」に戻った。ところが、車をその他いくつかを捨て、半年もたったころ、「余命」を与えられたと感じることができるようになっていたのだ。もう少しならできるのではという思いが湧いていた。
 「評伝・福沢諭吉」論は「長い」(?)あいだ暖めてきたテーマだ。「著者」は「著書」のなかにいる、それがわたしの変わらぬ書く作法〔マナー〕である。ところが諭吉の「魅力」は、なかなかに複雑で、諭吉「主義者」や「批判者」が提示するものとはうまく重なってこないのだ。  わたしの作法はやはり「書かれたもの」のなかにいる諭吉だ。それを「発見」したい。
2 フィクションで書いた理由
 「歴史」とは「書かれたもの」の意で、「創作〔フィクション〕」である。東の司馬遷『史記』も西のヘロドトス『ヒストリアエ』も、そして日本の『日本書紀』も、文字通り、「書かれたもの」である。エッ、「史実」に基づいた「歴史」を無視するの、というなかれ。「史実」といわれるものも、「書かれて」はじめて「歴史」になる。つまりは「創作」であるほかないのだ。
 諭吉の「評伝」は、フィクション(小説=創作)で書くほかない、そう断を下し書きはじめたのは、もうかなり前になる。はじめて「取材」めいたことを試みた。諭吉が歩いた「跡」のほんの一部を、たどってみた。芝を中心にしてだ。足を伸ばして(だが鉄道とバスで)熊谷、太田までたどった。
 ただし小年時からわたしの旅はつねに地図たよりであった。文字通りフィクションである。六十を過ぎてから、外地にいくつか旅をしたが、書くと雲散霧消する「夢」に近かった。
福沢諭吉の事件簿Ⅱにつづく)

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どんな大学に入ってもやる気がでる本(言視舎)

どんな大学に入ってもやる気が出る本
ホンネで考える大学の活用法 AtoZ

 本書は知的〈プロ〉をと思う人のために書いた。大げさではない。知的プロとは知的〈仕事〉に就くことで、そのきっかけを与える最大のチャンスが大学(時代)だ。
 強調したことがある。
 1 大学は〈学校〉だ。本務は課業(ノルマ)で、仕事と同じように、否も応もなくノルマがあり、それを果たさなければならない。この点、小中高・専門学校等と変わることがない。
 2 大学は、〈自学自習〉を基本とする。これがむずかしい。自学自習は、イチローであれ凡人であれ、平凡なことに、〈毎日毎日day by day〉おこなう練習=習慣からしか生れない。  この習慣を否も応もなく与えてくれる〈最初で最大〉の場が学校で、学校の最大の長所だ。
 3 〈試験〉がなければ学ばない人も、〈試験〉がなくても学ぶ人も、よろしく本書を活用し、大学を跳躍台にして、自分の望む〈仕事〉について、プロになって欲しい。
 4 アメリカでは大学に入ってから〈学ぶ〉といわれる。日本では大学に入って〈学ぶ〉のをやめるといわれる。これは大げさだが、残念ながら、一面の真理だ。
 5 結局、〈学ぶ〉とは、自立するためのトレーニングのことで、この習慣を身につけないと、残念ながら〈自力self-help〉を失う。
 6 大学を学ぶ君の〈砦〉とするのは、君の力(自力)のトレーニングにかかっている。

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