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読書日々 1643 「光る君へ」(2)

◆240308 読書日々 1634 「光る君」へ(2)
 1 寒い日が続く、ようだ。ようだ、というのは、例年に較べれば、どうかな?、と思えるからだ。それに、長沼(加賀団体)にいたときの「寒さ」とくらべると、とんでもなく「暖かい」と感じる。
 2012年3月末に退職になった。それから、年来の望みであり、わたしの仕事の総括でもある『日本人の哲学』を書き、出版することに専心した。
 朝、目ざめる。通常は6時前。妻は就寝中。寒い、というか、窓ガラスは凍てついている。書斎に降りる。いつも、まず寒暖計を確認。そして、PCのボタンを押す。石油ストーブで部屋が暖まるまで、少なくとも10度になるまで、1時間はかかる。でも、仕事は始まっている。
 2 第1巻は、『日本人の哲学』で、源氏物語の紫式部もそのメイン哲学者に入っている。(先週の続きだ。)
 《しかし時代小説としてみれば、源氏のモデルは源高明ということになるだろうが、作者が生きるのは道長を頂点とする藤原氏にとって最後となる「全盛」期なのだ。だから過去の物語に仮託して、「源」など、藤原氏以外のものを権力の頂点に置くべしなどと作者が主張しているのではない。逆である。
 歴史上のモデルは源高明だが、光(光り輝く)源氏に仮託された理想的な人物のモデルとは、のちに「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」と歌った道長をおいてほかにない。付け加えれば、光源氏の栄光は一代限りであったのだから、やはり藤原が権勢を集める世がよろしい、ということになる。
 ただし、女(作者)が歴史や政治のことなどを記すのは異なこととみなされていたのだから、「いつの御代のことであったか」とわざと時代は明示しない書き方をして、読む人におのずから、ああ、あの時代の、あの方々のことがモデルになっているのだなあ、と自己了解できるようにしたのである。》
 3 源氏物語は、各種の「現代語訳」やを参照にしないと、とても私の手に負えない。『日本人の哲学』では、最小限の参考文献をあげた。
 ①紫式部『源氏物語』 ②『源氏物語』(古典文学大系14~18)同(新潮日本古典集成全8冊)
 ②谷崎潤一郎・新新訳『源氏物語』(9+別巻 中央公論社 *中公が、谷崎に源氏の現代語訳をさせた理由が面白い。中公への谷崎「借金」を返済のためで、もちろん実(下)訳者がいる。)与謝野晶子訳『源氏物語』(日本文学全集1~2 河出書房 *本書は、その冒頭「誤訳」で有名。)林望『謹訳 源氏物語』全10巻 祥伝社)
 ③『折口信夫全集』(第8、14巻 中公文庫)『折口信夫全集ノート編』(第14、15巻 中央公論社)清水好子『源氏物語の方法』(東京大学出版会 1980)同『源氏物語手鏡』(共著 新潮選書 1975)小西甚一『日本文藝史 Ⅱ』(講談社 1985)廣瀬ヰサ子『源氏物語入門』(英対訳・スーザン・ダイラー 1989)中村真一郎『王朝物語』(潮出版 1993)手塚昇『源氏物語の新研究』至文堂 1926)
 以上代表的なもので、マンガにも手を伸ばした。林望の『源氏』はそれ自体でも面白く、その才を堪能した。それでも、やはり折口さんの源氏「研究」(エッセイ)が最重要に思えた。
 4 NHKの「光る君へ」(3/3)はすさまじかった。
 いま、藤原不比等がデザインした政治システム(=日本政治システム)を書こうと、涸れかかった脳汁をしぼりだそうとしているが、不調というか、油が切れたというか、「前進!」と発破をかけても、駆動しそうにない。
 そうそう、最近、電話がときにある。どうも飲屋関係の人かららしい。人尋ねだ。もともと「人の名」や「電話番号」を憶えないようにしてきた。理由はあったが、その理由がなくなっても、固有名詞や番号を覚えることが出来なくなった。それにススキノに足を向けなくなって、10年余になる。退職してからだ。車も捨てた。何か、茫々としているが、シンプル(素寒貧)でもある。

◆240301 読書日々 1633 「光る君へ」(1)
 1 今日のように、雪が積もらないと、ほっとする。雪はねが必要で、それを担わなければならないからではない。結婚以来、雪はねが必要になったのは、1975~83年の、伊賀(神戸)時代から、84~2024年(厚別→長沼加賀団体〔ここは豪雪地帯であった 雪で勤務校への出勤は不能になることが、ままあった〕→厚別)のおよそ40年間の長きにわたる。ほとんどすべて、雪撥ね具は変わったが、妻・規子さんの力に負っている。70歳代の後半に入った現在もそうだ。
 現在は、このマンションの住民の方たちの大きな助力があるものの、常に体の小さな規子さんが率先して、雪はねは敢行される。これには、感嘆・感謝の他ない。ま、言葉だけで恥ずかしいが。(そういえば、父は、終生、雪撥ねを独力でやっていた。広い「店」前を、ていねいに、ときには一日中、芸術的と呼びうるほど丁寧かつ美しく、雪をはねていた。母はまったく手を出さなかった。子供が雪撥ねを手伝わない、両親のいずれかが占有するという意味では、父母の時代と私たち家族の時代で、内容は違うものの、形は同じだ。)
 2 今年のNHK大河、「光る君へ」は力作だ。面白い、というより、恐ろしい。
 日本史の中に数多くの「天才」がいる。
 「天皇」家の創業者中大兄王(天智)やその継承者をマネジングした藤原史(不比等)がいる。藤原道長はその末流で、紫式部はその「末流」=「大河」を泳いだ。
 2010年頃、『源氏物語』に浸っていた。マンガをふくみあれこれ耽読した。その成果を、『日本人の哲学』第1巻「哲学者列伝」に納めた。
《§2 光源氏物語  歴史と小説
△時代小説
 『源氏物語』は「もののあはれ」の文学、「殊に人の感ずべき事の限りをさまざま書きあらわして、あはれを見せたるものなり」といったのは本居宣長である。しかし、折口〔おりくち〕信夫がいうように、「(もののおあはれのように)趣味だとか、哀感だとかという程度でなしに、残忍な深いもの」をもって書いてあるのが『源氏物語』である。
 それに源氏物語の結構は「歴史小説」である。この規定ににわかに頷きにくい人でも、「源氏の一代記」である、さらにいえば、源氏と紫の上を中心に展開される物語である、ということにはさほど反対されないであろう。
 では『源氏物語』はいつの時代、天皇の御代を擬して書いたものであろうか。これははっきりしている。
 源氏の父である桐壺帝に擬せられているのは醍醐天皇(在位 897~930)である。
 源氏に擬せられるのは源高明〔たかあきら〕(914~982)で、 醍醐天皇の皇子、母が更衣の源周子である。高明は九二〇年に源氏を賜姓され、参議、中納言、大納言、右大臣から九六七年に左大臣に進んだ。だが藤原氏に警戒され、菅原道真と似た形で、九六九年「安和の変」で大宰権帥に左遷されて、失脚する。九七二年帰京を許された。
 当代の天皇は七歳で即位した一条天皇(在位986~1011)で、その后は紫式部が仕えた彰子(中宮)であり、道長の娘である。
 もちろん小説である。モデルと作中人物は同じではない。たとえば臣下である光源氏が賜った位、「准太上天皇」などというのは歴史上「前例」がない。『源氏物語』は「過去」物語で、政治的文化的に「現在」とは切れ離れているという「構え」をあくまでもとっている時代物、フィクションであるということだ。
 その特徴をいえば、『源氏物語』の舞台は、政治的には藤原氏の権勢独占を嫌った皇室・天皇が、菅原道真を登用したり、皇子を臣下に降すなどして重用し、藤原氏独占を牽制した時代に当たっている。》(以下次回)

読書日々 1632 3「酔」人

◆240223 読書日々 1632 3「酔」人
 1 街に出る。飲みにだ。そのたびに、これで最後かな、と思える。
 昨日、外は、びしょびしょのベタ雪が降っている。5時に家を出た。予期したほどには寒くない。長靴にしたから、滑らず、歩きやすい。気車はすぐ来た。次便は「雪」で間引きされるらしい。巨大な札幌駅は苦手だ。ま、渋谷をはじめとした東京よりよほどましだが、ぼやぼやしては突き飛ばされかねない。「貧弱」な北口を出る。かなり激しい降りの中、北大正門前を目指して、歩き出す。退社時なのだろう。傘をさした人となんどかぶつかりそうになる。それでも、ま、順調か? 途中で、若山(「きらく」常連)さんに追いつかれた。
 今日は、井上さんと、3人で飲む。初めての場所でだ。かつて、北大の北端付近に小さな事務所(鷲田研究所)をもっていた。井上さんは、私設助手として、そこで仕事をしていた。北大の近辺では飲むことはなかったが、24条近辺では昼間からよくビールを飲む店があった。かつて、井上さんは、いつでもどこでも、なにがなくてもビール、であった。
 2 若山さんは、歩くのが速い。店を探そうと、どんどん先へ進んでゆく。私は北8~9条あたりをへめぐるが、どうも通り過ぎたらしい。夕暮れ時、雪がちらつき、それらしい店は見つからない。ようよう見つけたとき、やはり通り過ぎていたらしいが、入り口が狭く、看板も小さい。2階が店で、そこは広い。広いカウンターに座って、ほっと落ち着く。間もなく井上さんが到着。そういえば、昨年末にも居酒屋で飲んだはずだ。
 美味いビールと酒、そして肴で腹を満たして、退店。狸小路を少しこえた、定番になった洋酒店に向かう。今日は、差配の2人がいるから、タクシーも簡単に拾えた。エレベータを、最上階で降りる。ここは静かで落ち着く。最上は、トイレ(?)。やはり定番のジン・ベースからはじまり、もう酔っているから名前はとんと覚えることが出来ないウイスキー(多分はじめて)、それにビールを飲んだ(はずだ)。どれも美味かった。え、味は、と聞かれても、憶えられない。そのとき、美味ければ最高、という声が聞えたはず。
 帰宅時(?)だ。タクシーに乗った。やはり拾ってくれたのは、「つきそい」の二人。運転手さんは新米だといったが、定番コースとはかなり違う、真っ暗だからどこをどう通ったかはわからないが、何か「懐かしい」道を疾走する。乗車時、厚別信濃郵便局区横、と言ったはずだが、最速(?)でドンピシャリ到着。自室で腰を落ち着ける前に、規子さんに電話したが、今日は終日除雪だったから、疲れてもう眠ったらしい。
 バックが膨れていた。そうそう、若山さんからいただいた、2冊、松岡正剛『知の編集工房』(朝日文庫)と酒井順子『処女の道程』(新潮文庫)である。二人とも、それらしい書題。ま、愉しみたいが、いまやっている仕事にけりが付くのは、いつか??
 3 22日午前中、「初め」でつまずいていたが、そこは突破出来るかに思える。
 やはり。天武の死後(685~)、それも皇太子のまま草壁が27で亡くなり、藤原史(不比等 689年31歳)が「判事」に任じられ、はじめて「歴史」に登場してから、日本(ヤマト)の歴史が本格始動する。国法(国憲)と国語の「成立」がそのメルクマールだ。日本「独立」の「宣言」から「定礎」への道で、史が「藤原」姓を「占有」する。持統+藤原不比等のコンビは、天智(持統の父)+藤原鎌足(不比等の父)コンビの「復活」でもあった。
 もちろん、史には、天武から「消息」を隠し、持統に登用される(拾われる)までの、雌伏15年ががあった。史は、大宝・養老律令の制定と日本紀(書紀)の編纂を領導(便利な言葉だ)する。「天皇+藤原」政権樹立への道だ。もちろん平坦な道ではなかった。特に、平安遷都(794)までのおよそ110年間は、「女性天皇」をはじめとする、「混乱」と「混迷」の歴史であった。だが国法と日本語の精練と・洗練があり、そして「日本書紀」はなんぼのものか、と口ずさむ、、清少納言や紫式部が登場する。世界文学の「奇蹟」と言っていい。これは『日本人の哲学』第2巻『文芸の哲学』で略述した。ぜひとも読まれたいものだ。

読書日々 1630 「過去についての自註」

◆240216 読書日々 1630 「過去についての自註」
 1 先週、ミステリ作家、今野敏『一夜 隠蔽捜査11』(新潮社)は、ミステリは「純文学か、大衆文学か」に一つの解答を与えるものじゃないか、という期待を込めた。だが、神奈川県警刑事部長竜崎は、額面通り、文学「音痴」を通して、終わった。私のいらぬお節介は、「半日」(読了)でしぼむ結果となった。
 なんだ、「誤読」じゃないかといわれれば、その通りと答えるほかない。でも、最終章の結末まで、私は愉しんだ。今野のこの作品は、そんな問題は私の柄ではない、かのような姿勢を通したが、ま、「お楽しみはこれからだ」に期待したい。私といえば、またまた、鮎川の『戌神はなにを見たのか』を持って、トイレに向かった。この作品は、主題も、舞台も、「ミステリの本筋は何か」に解答を得ようとする、エンタティメントだと思える。
 2 私は、『日本人の哲学』(全5巻 全10部 言視舎)を上梓し、2017年、ヘロヘロになりながら、長沼の馬追山から生家(跡地厚別)に戻って、積み残した、時代小説『福沢諭吉の事件簿』(全3巻 全13章)を書き、「これでおしまい」と思えた評伝『三宅雪嶺 異例の哲学』を書き終え、「これでおしまい」と再再度確認したが、まだ生きている。何か、不思議な気がする。というか、欲が深いのかなと思える。
 そして、この数年は、これまで書いたものの「整理」に集中し、デジタル版「著作集」を残すべく努めてきた。それもほぼ(すべて)終えた。膨大な量に上る。この数年、およそ8割の時間は、自分の書いたものを整理することに費やしているといっていい。自分でも「自慰行為」かなと思える節がある。なにせ、全30巻、1巻1000-2000枚(400字詰)なのだ。
 3 わたしが書いて、「活字」になった最初の「作品」は、.「幻想論の理論的支柱――吉本隆明批判」〔上田三郎名義〕 43枚(『唯物論』*、第一集、1969・10・20)である。
 その吉本に、終生、思想的・理論的に最も大きな影響を受けることになった。第二作は.「イデオロギーの終焉」論( 30枚 『唯物論』、第二集、1970.6.10)で、批判したダニエル・ベルやドラッカーにも甚大な影響を受け続けている。
 *『唯物論』は、大阪大学唯物論研究会が発刊した論集で、田畑稔と鷲田が中心だった。)
 4 いつも思い出しては、自分の頭を叩いている言葉がある。
 《すべての思想体験の経路は、どんなつまらぬものでも、捨てるものでも秘匿すべきでもない。それは包括され、止揚されるべきものとして存在する。もし、わたしに思想の方法があるとすれば、世のイデオローグたちが、体験的思想を捨てたり、秘匿したりすることで現実的『立場』を得たと信じているのにたいし、わたしが、それを捨てずに包括してきた、ということのなかにある。それは、必然的に世のイデオローグたちの思想的投機と、わたしの思想的寄与とを、あるばあいには無限遠点に遠ざけ、あるばあいには至近距離にちかづける。かれらは、『立場』によって揺れうごき、わたしは、現実によってのみ揺れうごく。わたしが、とにかく無二の時代的な思想の根拠をじぶんのなかに感ずるとき、かれらは、死滅した『立場』の名にかわる。かれらがその『立場』を強調するとき、わたしは単独者に視える。しかし、勿論、わたしのほうが無形の組織者であり、無形の多数派であり、確乎たる『現実』そのものである。》(吉本隆明「過去についての自註」昭39)
 かつても、現在も、この吉本の「自注」を保持しようとしてきた、と思える。私の考える力の源泉だから。

読書日々 1629 今野敏『一夜』の異常な幕開け 

◆240209 読書日々 1629 今野敏『一夜』の異常な幕開け
 1 新刊書はほとんど買わなくなった。読みたい本がなくなったわけではない。
 私も、新聞を「下段」(書籍広告)から読むのを習慣としてきた。その癖はいまも止っていない。でも「書店」は老人の足には、「遠い」すぎる。昨年まで、購入はアマゾン(通販)を利用してきた。「足」の弱い老人にとっては、とても便利だ。が、昨年来、購入時、不可避(?)的に、アマゾンコム(会員)に登録されてしまうのだ。厳密には、ミスリードではないだろう。私のド近眼と手と脳の不釣り合い=ミスのせいに違いないが、何か「詐欺」に誘導されるの感をいなめない。それで、そのつど「会員」抹消を届けてきたが、それが面倒というか、情けないというか、アマゾンで購入するのを止めようと決断(?)した理由だ。
 2 ところが、いまでも新刊書が出るたびに通読したくなる作品がある。今野敏『隠蔽捜査』はその一つだ。もちろん、主演者が異なるTV作品もそのつど、繰り返しも厭わず観てきた。みな面白い。ビデオもある。
 妻に購入依頼をした。さっそく手に入った。「隠蔽捜査10」は、『一夜』で、エリート警察(検察から品川署長、そして神奈川県警部長へと「降格」と「移動」を喰らった)官僚、主人公「竜崎伸也」の連作には珍しく、「ミステリ論」からはじまった。どういうことか?
 ミステリはその発足以来、「大衆小説」か、「純文学」かの論争がある。ところがほとんど小説を読んだことのない竜崎が、この論争に足を踏む入れる、という「出だし」になっているのだ。まだ100頁も進んでいないのだから、お楽しみというところだが、この主題を、小説でも、評論でも真っ正面から追った「最初」の作家に、鮎川哲也(1919-2002)がいる。もちろん「全作品」(?)を読んでの「結論」だ。
 その初期の大作『黒いトランク』は3度通読し、メモを取りつつ堪能したが、まだ「空白」はある。ま、わたしのミステリ「脳」の不出来さの故だろうが。それでも、いまでも、TVに再三再四登場してきた「刑事鬼貫八郎」シリーズ(全18回 大地康雄主演)が、現在も再放送されている。原作とはかなり違うが、文句なく面白い。「換骨奪胎」といえば言葉はいいが、エキスだけを取りだして映像化したもので、かえって、鮎川のミステリの真骨頂が露出しているように思える。
 などというと、いかにも私は鮎川通のように聞えるかもしれないが、この人まさにミステリ「怪人」なのだ。小さい部分(細部)も大筋(ストーリ)も稠密というか、異常なほどに「文学」なのだ。
 3 ミステリーは純文学か、大衆文学かという論争・対立を「無効」にしたのは、松本清張『点と線』(1958)の登場によってだ、と江戸川乱歩もいい、大方ではそう受け取られている。
 だが、①鮎川『黒いトランク』(1956)が先行していた。②それに「点と線」は、「点」はあるが、「線」(ロジック)は通っていない。「推理小説」ではないということだ。
 もちろん、今野の『一夜』が、純文学か、大衆文学か、という長い論争に決定打を放つとは、想像するだにありえない、と思える。それでも、文学「音痴」の竜崎にとって、この論争にどのような「解答」を出すのかに、わたしは無関心ではいられない。竜崎は、必ず彼なりの「解答」を出す型(タイプ)の人間だからだ。
 4 問題をミステリ作家今野敏自身(そういえば、最近ミステリ大賞を受賞した)は、「ミステリは大衆文学か、純文学か」にどう答えるのか、興味津々だ。
 私といえば、大衆文学か、純文学か、などという論争は、「不毛の極み」だと思っている。「文学と非文学」があるのみだ、というしかない。しかし、「文学」とは何か、にまず答えなければならない。その場合、「文学」作品を通してしか、解答を求める方法はない、というほかない。「源氏物語」が「文学」なら、「大菩薩峠」は大衆文学である、というように。